見出し画像

「11.内覧」

ガチャ…

いつも家の扉を開ける時は憂鬱になる。帰って来ても、「おかえり」と出迎えがあるわけでもなく、誰もいない暗い家の中に向かってボソッと「ただいま」と言う作業には、正直ほとほと嫌気がさしている。

しかも、ファミリー向けのマンションなので、無駄に広いのが、また寂しさを増長させた。暗闇からなぜまた暗闇へと帰らねばならないのか。そんな思いをかれこれ10年近く抱き続けながら、同じ作業を繰り返してきた。

しかし、今日に限っては、確かに家の中は暗いのだが、なぜかいつもより明るくはっきりと見える気がした。僕の心がそうさせるのか、後ろにいる彼女が家の中を照らしているのか。

「ただいま」

いつも通りの声のトーンで玄関に入る。

「おじゃまします」

いつもとは違う声が家の中に響く。その声で僕はゾクッと背中が動くのを感じた。
”みずほ”で聞いた時もそうだったが、閉ざされた空間の中で聞く彼女の声は、どうしてこうも聞く者を不思議な心地にさせるのだろう。自分でもよく分からない感情を抱きながら、彼女を部屋の中へと招き入れた。

「えーっと、じゃあここの部屋を好きに使ってください。ちょっとだけモノを置いてますが、すぐにどかしますので」

玄関近くのこの部屋は、一人暮らしの僕にとっては全く必要としないものだった。いつか結婚して子供が出来たら、子供部屋にでも使うかと思っていたものだったが、そんな日がいつ来るか分からないし、一生来ないかもしれないので、こうして誰かに使ってもらえて、この部屋も本望だろう。
次はリビングを案内する。

「ここがリビングです。冷蔵庫でも電子レンジでも一通りのものは揃っているので、まぁ好きに使ってください」

割と大きめのリビングで、一応誰かが来た時のために大きめのテーブルをカウンターキッチンの横に備えている。部屋の真ん中にはソファとテレビ、小さな机があり、くつろげるようにはなっている。
僕は普段、このソファと机、そして寝室で生活をしており、この家の力量を30%くらいしか使いこなせていない。

特に観葉植物などにも興味はないし、趣味と言えるものもないので、こだわりの何かがあるわけでもなく、必要最低限のもので満たされた殺風景なリビングだ。部屋はその人の人となりが現れるというが、こうして他人に対し説明をして客観的に見ると、僕という人間はごくごく平凡な人間だなぁと改めて感じる。

「素敵な部屋ですね。気に入りました。ちなみに、このリビングは共同スペースなので、双方の話し合いに基づき、カスタマイズしていけるという認識でよろしいですか?」

キラキラした目で彼女は僕に問いかける。素敵だと言ってくれているが、この質問をするということは恐らく、本音では気に入っていないのだろう。
というか、部屋の感じを変えてやろうという勢いを凄く感じて、僕は少々笑いながら、「いいですよ」と答えた。特にこだわりもないので、好き勝手してくれて構わない。僕のこの性格を投げやりと捉えるのか、自由放任主義でやりやすいと捉えるのかは、その人次第だろう。

僕の答えを聞き、「うんうん」と嬉しそうに深くうなずきながら、リビングを歩き周る彼女を見ていると、なんだかこちらまで嬉しい気持ちになってくる。

「じゃあ、一旦今泊まっているホテルに戻って、チェックアウトしてきますね。」

彼女がそう言って家の外へと出て行った数十分後、大きな黒いキャリーケースをゴロゴロと引きながら再び僕のうちへやって来た。

こうして、僕らの不思議な共同生活が始まった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?