パルセイロサポーターの憂鬱

本記事をご覧いただく前に昨日1月4日午後7時に投稿されたOWL magazine代表の中村慎太郎さん  https://twitter.com/_Shintaro_ の記事を参照された上で
一人のパルセイロサポーターとして感じたことを綴っていく。長文・駄文になるが笑覧いただければ幸いだ。

2011年、折しも東日本大震災の翌日3月12日に封切りとなったドキュメンタリー映画「クラシコ」。長野県をホームとする(当時)北信越リーグに所属していた松本山雅FCとAC長野パルセイロの、Jリーグのダービーマッチを凌ぐと言われていたほど熱い戦い「信州ダービー」と両チームの対立関係、そしてクラブに関わる人々の偽りのないありのままの姿を主に松本山雅FCの側から1年間追った作品である。この作品を引き合いに出して、松本山雅FCのおまけとして見られているAC長野パルセイロという現状を憂いて警鐘を鳴らして無料公開部分は終わる。

この記事呼んで、僕自身普段取り上げられる機会の少ない我がクラブにスポットライトを当てていただいたことは有り難いと思いつつも、どこかモヤモヤした感情を抱いた。その状況を招いたのは第三者の目線ではなく、我々AC長野パルセイロというクラブに関わる全ての人々に原因があるのではないかと。

 確かに今シーズン、Jリーグでは初めてとなる「信州ダービー」が実現することはJリーグ全体で見ても取り上げられるべきトピックの一つなのかもしれない。ただ、それは長野の昇格により実現するものではなく、J2リーグでも営業収益が上から5番目に位置していたにもかかわらず成績が低迷し降格の憂き目にあった松本によって実現するという点で、大方の見方が「あの松本山雅がJ3リーグでどう戦っていくのか」という視点になるのは至極当然と言える。

 さらに言ってしまえば、ドキュメンタリー映画で描かれたシーズンからすでに10年以上が経過し、その間に松本山雅はJ1に2度昇格を経験している。成績面だけでなく、スポンサーの数は600社以上、アウェイサポーターからも絶賛の声の絶えないホスピタリティーがある。松本市をはじめ長野県にとってこのクラブは無くてはならないものになっている。

 翻って我らがAC長野パルセイロは2014年のJ3加盟以降、一度の昇格歴もないまま今年9年目のJ3リーグを迎えることになる。また2020年に民間出身の社長を迎えるまで、月ごとの売上目標を設けていなかったり、アウェイサポーターからパルセイロのマスコットキャラクターであるライオーのぬいぐるみの欠品を指摘される、そもそもアウェイサポーターの通行禁止エリアにグッズショップがあると思われていた(実際には誰でも入れるのだが、そういう声が実際にあった)。等々、成績面のみならず試合運営やスポンサー営業の面などクラブの運営力についてもこの10年で松本山雅と大きな差が生まれるどころか、むしろ後発のJFLから参入してきたクラブたちに押され、その優位性は縮まっていった。

この両方を比較した時に、過去の歴史は一切知らせず先入観のみでどちらに魅力を感じるかを問うたら、まず間違いなく松本山雅の方が魅力的に映るに違いない。それを「松本ばかりが注目されて、長野にスポットライトが当たっていないのがおかしい」と言われるのは、しかもそれが元々松本山雅が好きな人間に言われたことは、野尻湖よりも深い情けなさを感じずにはいられない。


合コンで例えるなら、家はそこまで裕福では無かったが努力して大学を出て一流企業に勤め、社交的で明るい愛され上手な男性と

親のスネをかじりながら金もなくコネもなく社交性もなく、子供部屋のベッドから部屋の天井を見つめながらただただ訪れることのない「いい出会い」を夢見続ける30代男性が比較されるようなもので

当然人気は前者に集まる。そこで前者の方の付き添いで来た友人があまりにも後者を不憫に思って「彼だっていいところがあると思うよ、ポテンシャルめちゃくちゃあるし引き立て役になるには勿体無いよ」と励ますようなものである。本当はこれっぽっちも思ってないくせに、モテないのは本人の努力不足に起因するところなのは火を見るより明らかなのに。そしてそれを真に受けて「そうだ、俺はまだ本気を出してないんだ、ポテンシャルありまくりで、今はちょっと運が向いていないんだ」と勘違いするようであればもう救いようがない。


 このまま書き連ねていくとただの悪口で埋まってしまいそうなので、ここで少し休憩がてら、僕がこのAC長野パルセイロとかいう「子供部屋おじさん」的なクラブをどういうきっかけで応援するようになったか、改まって書く機会が無かったので記したいと思う。
 
 一番最初にパルセイロと出会ったのは映画「クラシコ」が公開された2011年の暮れ、当時は大学生でスポーツ観戦、特にサッカーをこよなく愛し暇さえあれば大阪にある実家から近隣で行われるJ1から地域リーグの試合まで様々な試合の会場に足を運ぶような「国内サッカーオタク」だったわけだ。  12月のある土曜日、暇を持て余していた僕は例によって関西近辺で開催されるサッカーの試合を調べていると、JFLのSAGAWA SHIGA FC(当時)とAC長野パルセイロの試合が守山で開催されるという情報を得た。
当時の知識として松本山雅FCというクラブは松田直樹が加入し急逝、その遺志を継いで戦いJ2昇格を勝ち取ったということで知っていて、長野は同じ県内にある「もう1つ」のクラブであるということでしかなかった。だが、その「もう1つ」の方に僕は興味を持った。地域リーグの試合で何度か守山には足を運んだことがあり土地勘もあったため、電車に揺られて大阪から片道1時間半ほどかけて試合会場へ向かった。

画像1

画像2

タオルマフラーだけ会場で購入し、応援席に交ぜてもらい一緒に応援させてもらった。結果は2-1で長野が敗戦。ただ当時パルセイロを率いていた薩川監督のサッカーと統制されていながらもホームメイドな温かみのある応援の雰囲気に魅了され、リーグ戦での順位で下に位置する松本山雅にJ2加盟を先越されることにも「仕方ない」と話していたサポーターの健気さにも感銘を受けて、このAC長野パルセイロというクラブが僕の中で気になる存在になった。近い将来Jリーグで、しかも上のカテゴリーで名前を見ることになるだろう、そうなればいいなと感じた。これがこのクラブと僕との出会いだ。

閑話休題、2012年からJ2リーグに加盟して以降、ゴール裏のスタンドに掲げられた「雷鳥は頂を目指す」の言葉の通り右肩上がりで成長を続ける地方発のプロビンチャの挑戦を「おらがクラブの成功例」と好意的に注目を集める隣人を尻目に、日の当たらない裏街道をAC長野パルセイロは進んできた。
とはいえ、松本山雅は(反町康治という優秀な指導者に恵まれた側面はあれど)この10年でJ2、そして時に舞台をJ1に移し、他のクラブと切磋琢磨していく中で着実に根を張り枝葉を伸ばして繫栄してきた、それはクラブの努力というものがあってこそだと思う。そんな汗と涙の結晶と言える松本山雅を魚の刺身に例えるのであれば、そのツマになれるだけ長野は有り難いと言えるのではないか。とも思うわけだ。

本格的にAC長野パルセイロのサポーターとして試合に定期的に足を運ぶようになったのは2015年からで、以降ずっとクラブを見てきて物足りなく感じることは、一にも二にも「成長」だ。観客動員数は長野Uスタジアムの開場翌年に記録した10377人(1試合平均5018人)をピークに減少し、一昨年と昨年のコロナ禍が追い打ちをかけ2021シーズンは1試合平均が2518人とピークの年の半分程度となってしまった。

数字の上だけでなく、サポーターの減少を肌で感じることも7年の間ではあった。また、全国で球技専用スタジアムの建設や整備改修の計画が進むにつれて長野Uスタジアムの希少性も薄れてきた。本来ならば次の一手として長野Uスタジアムに新規の観客を発掘するための新席種導入や改修などを順次おこなっていくべきなのだが、そういったてこ入れが行われる話はいまのところない。シーズン最終戦後のセレモニーで「サッカーを通じて市民の皆様に感動と元気をお届けする」と社長は話していたが、観客動員がピーク時の半分になった今、果たして躍動するサッカーを見せただけでどれだけの人が感動して元気になるのだろう、このパルセイロというクラブがあることでホームタウンに何が残せているのだろうか。

正直、今の段階では信州ダービーの宿敵の刺身のツマにもなれていない。名乗る資格が無い。

しかし、全てはそこから始まると僕は思っている。今まで九九だけで難しい数式をゴリ押しで解いてきたのに明日からいきなり素因数分解などできるわけが無い、それならば恥を忍んで誰かに教えを乞うのが成長の第一歩だ。

僕には世界で一番好きな景色がある、長野Uスタジアムのホームゴール裏席から長野の雄大な山々を望む風景だ。この景色だけは松本山雅のホームのサンプロアルウィンにも、いや世界に誇ったっていいと思っている。そんな自慢できる景色と、このクラブの未来に贈る一言で筆を置きたい。

画像3

“下手くその上級者への道のりは、己が下手さを知りて一歩目”

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?