人間拡張についてもの申す

近日放送中のdocomoのcmについて。出演者に対して直接的な言葉をぶつけるつもりはないが、人間拡張の恐ろしさを真剣に考えていないdocomoに怒りを覚えた

まず、人間拡張について私なりの解釈から。腕や足に神経伝達ができる機器を巻きつけ、その母体となる媒体や対象からの信号を巻きつけた対象に反映できるというもの。

まず、これについて一言
まじキメェ

これでは言葉が尖っているので具体的に申し上げると
これは犯罪利用でヒトを殺害して罪をなすりつけることができるだけでなく、ヒトの何かを一生懸命やる試みを軽視する文明の妥当ではない進化だと疑う
半泥酔状態にしたヒトにバンドを巻きつけ、拳銃やナイフを握らせれば返り血を浴びるのも凶器につく指紋も知覚をジャックされた対象になるし
契約書にサインさせても、筆跡は本人のものとなる。
ピアノや楽器、スポーツにしても、上手ければ人間的なものは全て無視して当然という姿勢のものになってしまう。
ピアノは音符を読めるようになるのも、音楽を体現できるようになるまで3年、5年、10年と時間がかかる。
スポーツを始めるに当たっても葛藤や覚悟、躊躇いや犠牲にするものがある。

プロスポーツの舞台で人間拡張の文化を取り入れれば、たとえばサッカーでは足の速い190cmほどのヒトの体中に神経伝達バンドを巻き付ければ現役の選手より活躍するだろう。
それはただのサイボーグの試合と何が違うのだろうか。

ヒトの人生は経験した出来事や感じたことに
連続性があるからそれを共有したりときに寄り添えないことに楽しみがあるのであって、それら全てを軽視して、ポケモンの技マシンのように脱着していく発明はこの星に生きる生き物としてNOを突きつけていく方が私は更なる分断を生まない世界を保てると感じる

みなさんはどう感じるだろうか

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