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信じたいのに信じられないのは自分のせいじゃなんじゃない?

「人を信じること」は歳を重ねてゆけばゆくほど難しくなる。

成長する段階で、信じていた人に裏切られない人はいないのではないだろうか。

大きな事ではなく、

『明日あのご飯屋さん行こう』と言っていた人からの当日キャンセルとか

『あなただけに話すことなんだけど』と言っていた人が他の人にも話していたり

その逆で信頼している人に話した事が皆に筒抜けだったり

『ずっと一緒だよ』という言葉は必ず裏切られるし

『もう少し待って欲しい』が永遠に会えない事だった。

でも、きっと、私は人から裏切られた数だけ人を裏切っている。

親にご飯を用意してもらったのに急に連絡の入った友達と外でご飯を食べたり

行きたくもない行事に口だけでも「行きたいです」とか言ってみて、行かなかったり

本当に些細な事だ。人は裏切る。


それでも、人は人を信じたい。

多分、多分だけど、

「自分を信じたいから」

じゃないかなと思ってる。


「自分は信じられる存在だ。自分の価値観を信じてあなたを信じる。」

他人から裏切られ続ければ自分も信用出来なくなる。

そうすると負の輪に入る。

人から裏切られる→人を信用できない→自分を信用できない→信用されない行動をとる→信用を失う→人から裏切られる


このループに入ると、中々苦しい。

上がるのにはかなりの力がいる。

それでも、エイヤっと勇気を自分から出すと、未来が開ける。

人から裏切られる→人を信用できない→自分を信用できない→それでも自分を信用する→信用される行動をとる→人から信用される


結局は自分を信じる事で、救われる。

だから、私は明日も好きな人には好きと言うし

仕事を頑張るし

一生懸命に生きる。

それが私が私を信用する唯一の手段だ。

古臭いやり方かもしれないけど、頑張れ自分。

私は私を信じてるぞ。


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