20/10/04 【感想】放課後スプリング・トレイン

ああ、いいなあ!

…と思わず顔がほころんでしまう吉野泉『放課後スプリング・トレイン』を読みました。

本作は著者のデビュー作で、ジャンル的には「日常の謎」、著者が青春時代を過ごした福岡の町を舞台にしたものです。

これをどれだけの人に共感してもらえるかわからないんですけど、「自分の地元を舞台に実体験も交えながら日常の謎をミステリの賞に応募して小説家としてデビューする」ってひとつの人生の夢じゃないですか!?
夢がかなった実物を目の当たりにしている、ってだけでなんだか幸せな気持ちになるんですよ。

そして文章もまたなんとも言えない、いい意味での青さがあるんですよね。
僕もほんの一瞬だけ小説のようなものを書いてみようとしたことがあるんですが、なんか描写の書き込み方とか、断片的なパラグラフが連続する感じとか、すごく「わかる」んですよ。こうなるよね!こういうの書きたいよね!って。フレッシュな創作意欲を感じるんです。

かくして冒頭の嘆息につながったわけです。

本作はジャンル的には「日常の謎」なのですが、実際に読むものはどちらかというと「謎のある日常」がメイン。
ミステリの文脈ではよく「興味」という言葉が出てきます。たとえば密室殺人を扱った話だったら「どうやって密室で人を殺したんだ?」という興味で読者にページを繰らせていく。これは「不可能興味」と呼ばれます。こんなふうにミステリで話を進めるためのエンジンのことを「興味」って呼んでいるのですが、この作品は謎にそれほど興味がありません。
読ませたいのは謎と解決じゃなくて、日常の中に謎を見つけたときの不思議な印象とか、それが解けたときの気持ちよさや視野がすうっと広がる感じ、そっちの方がメインコンテンツになっています。
いわばエンジンを積まずに足で漕いで走る自転車のようなミステリ、それが本作です。

あらすじより下はネタバレ感想です。

四月のある日、福岡市内の高校に通う私は、親友・朝名の年上の彼氏を紹介される。そのとき同席していた大学院生の飛木さんは、私の周りで起こる事件をさらりと解き明かしてみせる不思議な人だった。天神に向かう電車で出会った奇妙な婦人、文化祭で起きたシンデレラのドレス消失事件……。福岡の街で私はたくさんの答えを探している。第23回鮎川哲也賞最終候補作を大幅改稿して贈る、透明感溢れる青春ミステリ。
(あらすじは東京創元社HP内作品ページより)

「放課後スプリング・トレイン」

福岡の電車ってなんかやたら寝心地いいんですよね。特に近鉄。

炎色反応の話が面白かったです。「赤と黄色が黄色になる」というのを最初の不思議にしているのが絶妙。「赤が足りないのかな」というミスリーディングがもっともらしくなっています。

逆に、謎と解決にそんなに主眼をおいてないと言いつつも電車の話はいまひとつ釈然としないものが残ります。

泉はおばさんが座ってスカートの裾に乗られた直後から引っ張っていたわけで、おばさんがそれに気づかなかったことは「疲れて寝ていたから」では説明がつかないのではないでしょうか。駆け込み乗車でアドレナリンドバドバの状態から座って即目を見開いたまま寝落ちしたとは考えづらいです。
それとも実際には悪意があったけど飛木が優しさからそれを泉には伝えなかったという裏の真相があるのでしょうか。

「学祭ブロードウェイ」

ミステリ的な真相だけ見ると学園モノでは煎じられすぎてもはや味がしなくなってるレベルのネタです。そこに信頼できない語り手ギミックを加えて工夫をしてはいますが、フーダニットとして境界条件が作り込まれていないので意外な犯人という撮れ高はあまり得られていません。

というわけで解決編の9割までは退屈しながら読んでいたのですが、「どこで真相に気づいたか」の話で一気に印象が変わりました。

泉が最初にゴミを出しに行ったことから彼女が何か隠して証言していることを見抜いたというのも面白いですし、なにより泉が現地で真相に勘付いた理由を明かす「高校生って泣かないんです」という一言が鮮烈。

こういう「複数の探偵が違うルートで真相にたどり着く」系のつくり、好きです。

「折る紙募る紙」

何がいいって最初の、色紙(いろがみ)で作った席替えのくじ引きで泉とイッセーが推理するくだりがいい。
こういう「日常の中のふとしたゲームに攻略法を探そうとする思考」が大好きです。
『秋期限定栗きんとん事件』でも一番好きなのは小鳩くんがバスの車内で次に席を立つ客(=次に空く座席)を推理しようとするくだりです。

包から取り出した色紙をそのまま裏返して1から順に番号を振っていったのではという推理はもっともですし、それが最後にひっくり返るのも当然の流れながら楽しいです。
「なぜくじに色紙を使ったのか?」という謎に「配られた生徒それぞれに鶴をってもらうため」というひとまずの回答が与えられますが、この回答も面白い。

後半のボランティアパートも謎の深さと解決の距離感がちょうど本書の空気感に合っていて、よくできたものでした。
読みながら「これが飛木による推理で終わっちゃうの、なんか嫌だな」というなんともいえな気持ちになっていたので、飛木にヒントをもらって泉が真相に辿り着くという筋立てがとても嬉しかったです。

泉と芽衣子さんの最後のやり取りは快い余韻を残します。そしてラストの泉と徳永くんのやり取りも、「未来の遠さ」に透明な青さを感じる若々しいものでした。「高校を舞台にした」「日常の謎の」「青春ミステリ」という本作の武器が最大限に活用されていたと思います。
「ミステリにおける解決編のあとの余韻」が好物なのですが、これはまさに大好物です。

「カンタロープ」

アマリリスとマリーゴールドの謎は面白そうだったのですが、真相が悪い意味でなんてことなかったのが残念。

「意外な(おもしろい)真相」と「なんてことない真相」は両立します。「大掛かりな真相があるのかと思いきや解いてみたらなんてことない真相だった」という意外性が存在するためです。
しかし本作に関しては真相のなんてことなさが意外でもなんでもないため、今ひとつ盛り上がりに欠けた感があります。

「謎と真相」という部分に関しては割とゆるいものが続く本書ですが、この短編に関しては真相の意外性のなさがストーリーとしての面白さも削いでしまっている感じがします。
というのも、小学生の少年の印象が謎を解く前も解いた後も「嘘なんてつかなそうな、植物を愛する優しい少年」で全く変わらないんですよね。
これが真相を明らかにしてみると少年の印象が一変するとかだと「ミステリによって人間を描く」ことにつながり、真相の面白さがそのままストーリーとしての面白さにつながっていたのではないかと思います。

姓名の叙述トリックは作者名がミスリードになっているというのが面白いですね。Vシリーズを全部読んでいても気づきませんでした。