20/12/27 【感想】フォックス家の殺人〔新訳版〕

今月17日にハヤカワ・ミステリ文庫で出たエラリイ・クイーンの『フォックス家の殺人』新訳版を読みました。いやあ、出ると知ったときははしゃぎましたね!

とても面白く読めました。良作です。
この作品は以前に前の訳で読んだことがあったのですが、実はそのときは僕の中でさほど評価は高くありませんでした。しかし今回、その評価を改めることになりました。

事件を現場で再現するときの法廷モノのような味わいや終盤に登場するあの手がかりをめぐる推理などの記述がアップデートされ、「推理小説の文章」としてとても読んでいて楽しいものになっています。
本作はソリッドなミステリとハッタリのきいた人間ドラマの二層構造になっていますが、このミステリ部分がぐっと魅力的になりました。

さて、この小説はなんといってもプロットがキャッチーですよね。
過去の事件で有罪判決を下された人物について、その息子や娘が名誉回復のため探偵に再調査を依頼するという流れは「回想の殺人」の先駆者である『五匹の子豚』と同じなのですが(奇しくも男女がちょうど逆ですね)、「息子を『殺人犯の息子である』という罪の意識から救い出すため」に彼の愛妻が依頼するというのがいい。そしてそれを引き受けて捜査に乗り出すのもヒロイックでいいですよねえ。僕は探偵がヒーローしてるのが大好きです。

あらすじより下はネタバレ感想です。

ライツヴィルに帰還した戦争の英雄デイヴィー・フォックス。激戦による心の傷で病んだ彼は妻を手に掛ける寸前にまで至ってしまう。その心理には過去に父が母を毒殺した事件が影響していると思われた。彼を救うには父の無実を証明するほかない。探偵エラリイが十二年前の事件に挑む。新訳決定版。
(早川書房HP内作品ページより)

正直僕は、デイヴィーの戦争後遺症やその原因を父の罪に求め、その無罪を証明することで治療するというネタはそんなに刺さりませんでした。前回読んだときさほど評価が高くなかった理由の半分もそこです。『九尾の猫』もそうなんですけど、心理学ネタそんな好きじゃないんですよね。
今回評価が上がった理由は「そこ以外のミステリ部分が面白かったから」に尽きます。

技術的には、「被害者がグラスを割ってしまい被害者自身が別のグラスを取り出して注いでいる」という事実によって「グラスに毒を仕込んで被害者に飲ませることは不可能であった」と導き、真相を盲点に追いやっているのがシンプルながらもうまいミスリーディングです。
犯人はジェシカに対して殺意があったはずだという前提で考えているとグラス説は棄却されてしまうのですが、実は真相はその前提の外側にあったのだという結末。これがクイーン流の手続きによって明かされる最終章はミステリとしてもクイーンの面目躍如といえるものでしょう。

パッと見には「終盤に登場した水差しの手掛かりと声楽家の証言で解決しただけ」のように見えます。これが前回評価が高くなかった理由のもう半分でした。
ただトリックのキモはそこではなく、水差しと声楽家はベイアード・フォックスの無実を証明する決定的な証言とラストに真犯人を確定するための消去法のパーツに使われるだけだというふうに読むと、評価が改まりました。

12年前に状況証拠だけで判断せず水差しの澱を分析するなど物的証拠をちゃんと見ていれば冤罪は起こらなかったこと、そしてその決定的な物証である水差しやジギタリスの瓶が終盤まで出てこないこと、エラリイが水差しを調べようという発想に終盤まで至らないこと、原注も入っている二重の澱の点など、粗は結構あるのですが、まあまあまあまあ。
ところでエラリイもこのあとどんどん物的証拠をおろそかにするようになっていくんですが、この事件から何も学ばなかったんですかね?

謎と真相だけ取り出して不可能犯罪モノとして扱えば短編でも書けそうな話なのですが、それを長編としてここまで読み応えのあるものにまとめあげているのがすごい。
短編を引き伸ばしただけでなく、ちゃんと長編だから書けるものに仕上げているのが素晴らしいです。

特に最終章でベイヤードの無実とジェシカは自殺だったとする偽の真相を明かしたあとにベイヤードに本当の真相を明かすくだり、そして明かされる残酷な真相は、これだけ物語を書き込んでいたからこそ響くものでしょう。

あと本作以降にクイーンが書いた作品では「エラリイが推理を誤り、その後あらためて真相にたどり着く」という筋書きがよく出てくるのですが、本作ではその誤る部分だけを12年前に当時の捜査陣や司法がやってしまっていると見ることもできることに気づきました。
回想の殺人テーマということで本作の構造は『杉の柩』や『五匹の子豚』と同じ構造であると認識していたのですが、クイーン作品としては「事件~捜査~誤った推理~推理を覆す発見~真相」という中期以降のクイーンに特有のプロットの前半部分を過去に置いた構造であると捉えると面白いかもしれません。