21/10/20 【感想】メルカトル悪人狩り

前巻『メルカトルかく語りき』が出たのが2011年5月なのでそれからもう10年! 全人類が待ち望んだメルカトルシリーズの最新短編集『メルカトル悪人狩り』が今秋ついに刊行されました。

空前絶後の超絶技巧作品集だった前巻『メルカトルかく語りき』というよりは、どちらかというと前々巻『メルカトルと美袋のための殺人』に近い感じの作品集です。

麻耶雄嵩好きなんですよねー、『かく語りき』が一番好き。ここでもおすすめしました。

推理小説には「人間原理」があると思っています。

人間原理とは理論物理学、特に宇宙論の文脈で使われる考え方で、超大雑把に言うと「なぜ宇宙はこんなに人間が生まれ生きるのに都合のいいようにできていて、こんなふうに観測できているのだろうか」という疑問を「人間が生きて宇宙を観測できるようなコンディションになっているからこうして宇宙を観測できてるだけだよ」と解釈するものです。

推理小説に出てくる警察はよく「ほとんどの事件は単純なものだ」と言って複雑に考えたがる探偵をあざ笑いますが、推理小説の中ではこの警察が探偵よりも正しいことはほとんどありません。なぜなら、単純な事件じゃないからわざわざ推理小説になって刊行されているのです。
なぜ推理小説の名探偵は難事件に遭遇するのでしょうか。それは逆で、難実験を解決したから名探偵と呼ばれているのです。
なぜ推理小説の犯人はさっさと探偵を殺してしまわないのでしょうか。それは、探偵が殺されずに犯人を指摘できたから推理小説として成立しているだけです。(※たまに犯人が探偵を除くことに成功しても刊行されちゃうこともあります)

このように推理小説におけるご都合主義を説明できる「推理小説原理」があるんじゃあないかと。

また、推理小説には「偶然の要素」を巡る議論があります。
よく言われるのが犯行のトリックについて「偶然に頼っている(偶然の要素が絡んだせいで事件の真相が難しくなっている)」という批判。これは推理小説を犯人と読者の純粋な知恵比べと考えたときに作者が勝手に犯人に有利な偶然を介入させるのはズルじゃないかという考え方ともいえるでしょう。
逆に探偵に有利な偶然もあります。本当は完全犯罪として逃げ切れるはずだった犯行に偶然の要素が介入し、そのほころびがきっかけで探偵に突き止められてしまう。

このように「犯人の計画にないファクター」が介在することで事件の難易度が上がったり下がったりすることは推理小説をより純粋に読みたい人にとっては扱いの難しいものになってしまうのですが、本作『メルカトル悪人狩り』は「探偵自身が犯人の計画にないファクターになって事件を変えてしまう」ことを扱った作品が多く収録されています。

探偵の介入そのものが事件を変えてしまうことも推理小説ではずっと問題になってきたテーマで、雑に言うとコナン君が船に乗ったせいで殺人が起きてるんじゃないか問題ですね。
しかしこの作品の探偵であるメルカトル鮎は、積極的に介入していく。事件という出題を受けて回答を記入する受験生の立場であるはずが、積極的に問題を書き換えていってしまう。
それどころか、上記の「推理小説原理」――推理小説において、事件は探偵に都合よくできている――すらも自覚しているような動きを取るのです。

偶然問題だとか探偵介入問題だとかのめんどくさい問題を土足で踏んでいくような傲慢な探偵ぶりはメルカトルにしかできないものでしょう。
改めて麻耶雄嵩先生の探偵扱いの上手さに唸る作品集でした。

個人的ベストは「メルカトル・ナイト」かな。オチが気持ち良い。
あと「名探偵の自筆調書」も好き。某島田荘司の「近況報告」みたいなんが来てしまったらどうしようかと一瞬心配したのですがそんなことはなく、とても面白い読み物でした。いわゆる「孤島」「館」「被害者に恨みを持つ人物が集められ…」「犯行時刻には全員にアリバイが…」みたいな推理小説によくあるご都合シチュエーションの必然性を説いています。