22/04/21 【感想】なめらかな世界と、その敵

ウオオオオオオオオオ!!
『なめらかな世界と、その敵』! 遂に文庫化!
『なめらかな世界と、その敵』!! 文庫化!!!

伴名練による超イケてるSF短編集であるところの本作、収録短編のどれも名作揃いなのですが僕は「美亜羽へ贈る拳銃」が特に大好きです。SF短編としてはもちろん、ミステリ短編でマイベストを選べと言われても入ってくるんじゃないかな。
読み終えた後に冒頭を読み返して「そういうことか!」と思わず叫んでしまう、極上の読書体験をさせてもらいました。
後は「シンギュラリティ・ソヴィエト」なんかも設定の時点で既に勝ってますよね。これまた最高にイカしたハッタリをしている短編です。

僕は2019年にハードカバーで読んだのですが、当時はまだnoteをやってなくて自分の手元で自分用に感想を書き残していたのでそれをちょいと掘り起こします。

当然ネタバレ感想、それも読者を想定していない自分用のメモなのでご注意くださいね。


ここからネタバレ


なめらかな世界と、その敵

世界線移動能力を特定の誰かが持ってるSFというのはよくあるが、「それをみんな持っててそれが当たり前」という設定が新鮮。
そして冒頭からその「当たり前」を描いて読者に違和感を抱かせる筆致がすばらしい。幻惑的な一人称の文章に一気に引き込まれる。これは文章だからできることだなあ。
その中にあってその能力を後天的に失ってしまった(障害と呼ばれる)人がテーマ。
ラストシーンはプールに身を投げた後着水前に世界線移動してしまえばあの世界にマコトのために「世界線移動できない私」だけ残して置き去りにできるんじゃないか、とか考えてしまったけど野暮なのだろうな。

ゼロ年代の臨界点

ゼロ年代(といっても1900年代)の国内SF作家の功績を整理しなおす文・・・というていで書かれた虚構。好きなやつ。
こういう虚構を元にした物語体でない文章ってSFのお家芸なのかな。

美亜羽へ贈る拳銃

面白かった!本編を読み終えた後、「きみ」と本文中で言われている「俺」は「誰」なんだ!?と思って冒頭部を読み返し、「あーーっ、そういうことかーー!!」と声に出てしまった。「きみ」は実継と美亜羽の子供だったんだね。愛の結晶ってことか(好意的に解釈すると)。

それにしても、読者に考えさせてそれをもって説得力とすることのうまい短編だったなあ。具体的には、本編を読んでて「これはこうなるのでは?」「これはこういうことでは?」と予想してしまう。そして予想はかなり当たる。
普通だとそれが当たることは「驚きがない」という欠点になるんだけど、この短編に関しては事前に自分の脳内で組み立てていた仮説なので実際に突きつけられてもスッと入ってきてそのまま説得力になっている。事前読み込みによってローディングのタイムロスをカットしているような使い方。どちらかというと絵画の視線誘導に近い感じ。
「兄弟はみんな脳にインプラント仕込んでるのに実継はなんも言及ないからなんか仕込まれてるぞ」と思ったし「実継は(北条)美亜羽のことが好きなんだな」と思った(自分より圧倒的に頭のいい異性がタイプ、という伏線もあったし)、そしてその予想はどれも当たって気持ちよく引き込まれた。

思考や思想そのものをいじれるという設定で、視点人物もいじられている可能性がある、というギミックにたくさん経験値稼ぎをした夢野久作は偉大だと思う。
分類としては「信頼できない語り手」となるのだが、一番のポイントは「読者が読んでいるテキストにも作中人物による意図的な改変が施されている可能性がある」ということだろう。
通常、叙述トリックは筆者が読者に対して仕掛ける、つまり作中世界の外にいる人物の間でのメタ的なやり取りなのだが、このギミックによって「作中世界にいる犯人がテキストレベルに介入する」という構造を取れるようになった。

ホーリーアイアンメイデン

抱擁によって「正しさ」を植え付ける慈愛に満ちた双子の姉と、その姉の手によって洗脳されることを恐れ嫌って姉の「誤爆」を誘発し姉の能力を使って自殺する妹の話。
そしてその経緯が妹の死後に姉の元へ届く連続書簡という形で描かれる。
「美亜羽」に続いて自由意志がテーマになっている。乱暴に言うと洗脳によって得られる幸福は本当の幸福か?というテーマ。この話の語り手(妹)は明確にそれを拒絶したのね。

シンギュラリティ・ソヴィエト

夢野久作の「焦点を合せる」みたいな虚々実々のかけあいをエンジンに話が進んでいくスパイものなのだが、そこにポストシンギュラリティものとしての味付けを施している。
そして「焦点」と同様、単純に読んでいて楽しい!

人間をはるかに凌駕した人工知能に演算装置として脳を貸し、人工知能に従って生きるのを東側社会主義、自由という「幻想」の中に生きることを選んだ者たちを西側自由主義に置くのがうまい。
「マザーコンピューター」の発想は昔からあったけど、人工知能という中央政府に対して人民が思考することなく末端(端末)として動く体制と社会主義を重ね合わせたのがめちゃくちゃ綺麗にはまってるなあ。
IT分野で、サーバー側で処理を全て行ってクライアント側は入出力の仕組みしか持たないトポロジーのことを中央集権型って呼ぶけど、元は当然社会体制から来たであろうこのアナロジーをひっくり返したのがお見事。

ひかりより速く、ゆるやかに

「SFは超技術や超自然そのものを描くのでなく、それによって変化する社会を描くもの」という主旨の言説を見てナルホドと思ったことがあるけど、これがまさにそれ。

修学旅行中の新幹線がまるごと「低速化」にあい、超低速で動く時間の中に閉じ込められてしまった状況を描くのだが、それで社会に起こることを描く描写がリアル。
終わり方としては爽やかで、ジャパニメーション映画を引き合いに出されて比較されるのもわかる感じ。