22/07/28 【感想】将棋記者が迫る 棋士の勝負哲学

村瀬信也『将棋記者が迫る 棋士の勝負哲学』を読みました。

タイトルにある将棋記者というのはなんぞやと思われる人もいるかもしれませんが、この本の筆者は新聞社の文化部で将棋を担当する記者さんです(他にフリーの記者さんもいます)。
新聞やスポーツ紙には将棋の欄があって棋譜が載ってるのですが、あれは何の棋譜を載せているかというと、自社で賞金を出して主催した大会でプロ棋士が指した棋譜を載せてるんですね。そして棋譜だけでなく指し手の意味などの解説も文章として載せる必要があるのですが、それを書くのも将棋記者の仕事。対局中に控室にいた棋士から聞いたり後から対局した当人に聞いたりして書くのですが、そのために記者は棋士と関係を築く必要があります。

プロ棋士という職業は何十年も現役生活があって同じ相手と何回も対局する職業です。そして将棋の対局によって生計を立てる彼らは皆一流の勝負師です。そういった世界の人々の常として容易には本心を見せないようにするものですが、それを引き出して読者へ伝えようとするときに活きてくるのが記者と棋士との信頼関係なのでしょう。
そして皆勝負師なだけあって、引き出される言葉は非常に熱を持っています。将棋を人生と最も密接に絡ませる生き方を選んだ勝負師たちが将棋について語るとき、ただのゲームに留まらない静かな熱を帯びるのです。

藤井聡太、渡辺明、豊島将之、羽生善治……
トップ棋士21名の知られざる真の姿を徹底取材!!

史上最年少で四冠となった藤井聡太をはじめとする棋士たちは、なぜ命を削りながらもなお戦い続けるのか――。
藤井聡太の登場から激動の5年間、数多くの戦いを最も間近で見てきた将棋記者・村瀬信也が、棋士たちの胸に秘める闘志や信念に迫ったノンフィクション。

幻冬舎HP内作品ページ

全編を読み終えて特に印象に残るのは、「とにかく藤井聡太が中心だ」ということ。藤井聡太という圧倒的な存在が中心にあって、その周囲で火花を散らしながら輝く存在たちが藤井聡太との距離感によって語られる。

かつてそのポジションにあったのは羽生善治でした。
僕の大大大好きな棋書に『最新戦法の話』というのがあるんですが、これは1990年台に相次いで登場した、それまでの常識を打ち破るような革命的な将棋戦法の数々について書かれた本です。そしてこの本の面白いところはただ将棋の戦法としての解説をするだけでなく、その戦法を生み出した棋士と生み出され育った経緯をリアルな棋士のドラマとして描いてくれること。
この本の中でたびたび登場するのが最強棋士・羽生の名前です。羽生の指した棋譜も数多く参照されます。
ただ、この本で取り上げられる9つの革命的戦法に羽生が生み出した戦法はひとつもないのです!
なぜなら、これらの戦法は、あえて極論するならば「羽生以外の棋士が羽生を倒すために磨き上げた」戦法だから。

羽生を代表とするオールラウンド・プレーヤーに対抗するため、あるひとつの戦法をきわめたスペシャリストたちも誕生しました。藤井システムの藤井、8五飛戦法の丸山など、生粋のスペシャリストです。

勝又清和『最新戦法の話』

「本人がいないところでも将棋で頂点を目指す棋士とその勝負について語るとき必ず登場する名前」が藤井聡太になった。『将棋記者が迫る 棋士の勝負哲学』はこの時代の最初のスナップショットになるのかもしれません。

また棋士同士の距離感とは別にAIの存在も常に意識されるのが今の時代ならでは。本書では現役棋士の多くについてAIとの付き合い方が語られています。
既に棋士にとってAIは競う相手ではなく研究パートナーとなって久しいですが…といっても、この切り取り方は恐らく正しくないのでしょう。なぜなら、棋士にとって「競う相手」と「研究パートナー」は当たり前のように両立するものだから。
将棋を指す存在であり、しかも強い。これだけで「競う相手」としても「研究パートナー」としても十分で、なんなら両者の間に違いはほとんどないのかもしれません。
プロ棋士とAIが「競う」様子が華々しく取り上げられた時代が過去のものになった「今」だからこそ、そんなことを考えさせられました。

『将棋記者が迫る 棋士の勝負哲学』は、勝負師たちの今を語る言葉たちが糸となって将棋界の今を一枚の絵として編み上げるような、非常に価値のある本になっていたと思います。