21/12/19 【感想】ザ・ヒューマン「羽生善治 天才棋士 50歳の苦闘」

録画していた"ザ・ヒューマン「羽生善治 天才棋士 50歳の苦闘」"の再放送を見ました。

本放送のときも録画して見てこんな(下の)記事を書いてたんですが、このときは羽生先生について語りたいというのがメインだったので今回は番組について改めて語りたい。とにかく構成がメチャクチャに良いんです。ちなみに思いっきりネタバレしながらあらすじを話すので気をつけてくださいね。

フォーカスされるのは、中学生棋士としてデビューしタイトル全制覇となる七冠達成をはじめ30年近く将棋界の頂点に君臨し続けた天才棋士・羽生善治(以下敬称略)。彼が50歳を迎えかつてのように勝てなくなる中、台頭する若手強豪や自身の老いそのものに対してどう立ち向かうかという話がメインテーマです。
その一方で、昨今のプロ将棋を語る際には絶対外せないテーマである、人工知能(AI)の影響がもうひとつ重要なテーマとなっています。

導入部で、急速に発達した将棋AIに現役の名人が完敗し、若手棋士はAIを取り入れた研究へとシフトするようになったという近況が羽生の話と並行して語られていきます。(ここでAIがプロ棋士を追い越したことを必要以上に重く話さないのもセンスの良いところです)

2018年度の竜王位防衛戦で敗れた羽生は27年ぶりの無冠となります。
ここで久しぶりに時間ができた羽生が家族と時間を過ごす様子が、奥さんの羽生理恵さんのSNSを引用する形で描かれます。

さて、タイトルを全て失った羽生は最新の研究勝負に身を置くべくAIを研究に取り入れます。(史実(?)ではその以前から取り入れていたようですが)
そして2020年、羽生は竜王戦の予選を勝ち上がると竜王戦七番勝負に今度は挑戦者として出場します。50歳以上での竜王戦七番勝負登場は史上初。
その相手はいち早くAIを研究相手としさらなる進化を遂げた豊島竜王。

激闘の様子が描かれていくのですが、このとき理恵さんのSNSが語り部のように引用されるのが実に構成の妙。前半家族と過ごす羽生を温かく語っていたツイートと同じ語り口を通して、勝負の峻烈さが勝負師の妻の立場から語られます。

羽生はAIを使った最新の研究にも対抗し巧みに切り返し、たびたび優勢を築きます。しかし優勢になった局も逆転負けを喫するなど、戦況は思わしくありません。
年齢的な衰えもあるのか、番勝負のさなかに体調を崩し入院するアクシデントもありました。
このあたりは当時見ていたときも本当に辛かった…。前回の記事でも書きましたが、羽生先生が逆転負けするのは見ていてとても苦しい。
結果、1勝4敗で羽生の挑戦は終わりました。

番組の最後、竜王戦から間をおかず、A級順位戦で再度戦うことになった羽生と豊島の姿が描かれます。中盤で失着があり大幅な劣勢に陥った羽生は、老練な粘りで混戦に持ち込みます。対局開始から14時間が経過し、一時は羽生が逆転に至るも、今度は豊島が粘ります。

局面は終盤、当然前もって研究しておくことなど不可能な領域です。
お互い持ち時間を使い切り、「1分将棋」と呼ばれるお互いに1手1分で指し続けなくてはいけない状況。

ここで対局の映像に豊島のインタビュー音声が重なります。

「指している瞬間は局面のこと以外何も考えていない」
「お互い競っていって最後の1分将棋が"将棋を指してるな"という感じが一番しますよね」

手番が羽生に渡ると、今度は羽生の言葉。

「強い人と指しているのは楽しいですね」
「将棋覚えたてで熱中して将棋道場で時間忘れて指してるっていうのと、気持ち的には同じだと思いますよ」

ここでフラッシュバックのように、小学生時代の羽生がカープの帽子をかぶって将棋盤に向かってライバルと将棋を指す写真が出る。この瞬間こそ、この番組のクライマックスだと思いました。

羽生のドキュメンタリーでありながら底流として常にあった、将棋AIが名人を追い越したいま人間である棋士はどうあるのかというテーマ。
そのひとつの回答をここに見たような気持ちがするのです。

棋士がAIを研究パートナーとした現代にあっても事前の序盤研究が及ばない、終盤という深い海の底。14時間の死闘の末に辿り着いた1分将棋で勝負師は"将棋を指してる"と感じ、将棋を覚えたての子どもに帰ってただ将棋という最高のゲームに熱中する。
この「純粋さ」、その美しさのためにこの1時間の番組はあったのではないか。棋士の存在価値なのではないか。

かつて若手棋士だった頃の羽生と仲間たちを、初代竜王の島朗は「純粋なるもの」と表現しました。
将棋をゲームとして捉えて研究するということは当時羽生世代が盛んに行い、上の世代からはコピー将棋などと批判もされたことでした。しかし当時の、勝負という側面が色濃かったプロ将棋の中にあってゲームを楽しみ追求しようとする羽生世代のことを、彼らと研究会を共にした島は「純粋」と評したのです。

羽生がもたらしたその「純粋さ」は彼がベテランになった今も彼の中に、そして彼の後輩たちの中にも、プロ棋士の魂として生き続けているのだと思います。

いやマジで50歳の羽生を描くにあたってクライマックスを竜王戦じゃなくてその後の大混戦の順位戦に持っていく構成ヤバいですって!
この番組ほんっと構成があまりにすごすぎる。傑作でした。