23/01/11 夢野久作完全攻略(8)

夢野久作完全攻略
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ちくま文庫版「夢野久作全集」第8巻には狂気を扱った作品が多く収録されています。
今回の企画をはじめる前、この8巻をイチオシにすることになるだろうと予想していました。
というのもこの巻は『ドグラ・マグラ』と近い成分の短編が集まっています。いわばドグラ・マグラへ至る道。ドグラ・マグラに興味を持って夢野久作を読んでみようと思った人にお勧めしたい短編揃いなのです!
そして果たせるかな、素晴らしい作品揃い。どこまでいっても主観でしかないのですが、★4以上は僕の中で「傑作」のカテゴリです。


瓶詰地獄 ★5.0

完璧な作品です

というだけではあまりにもあれなので言葉をもう少し補うと、全く過不足のない小説です。
推理小説とは情報の制御の芸術です。ある出来事から誰がやったか・どのようにやったか等の情報を故意に欠落させて提示することで謎を描き、読者は真相へ辿り着かないが探偵は真相に辿り着けるよう捜査の中で情報を提示し、最後にはその組立てによって解決へ導く。推理小説の技術はすべてこの情報の制御から成っているものですが、「瓶詰地獄」は全てにおいて情報の質といい量といい順番といい完璧。だから完璧な推理小説なのです。

(ここから微ネタバレ注意)

夢野久作の作品中でも第一級の有名作品なので色々な所に収録されていますが、僕と同様にちくま文庫版『夢野久作全集 8』で読まれた方は巻末の解題も読んでみてください。本作には「明らかに論理的な破綻が見られ」るとする1970年の論文を紹介し、「作者自身、ついうっかりと見逃したミスなのであろう」と書いています。
もちろん作者の意図は推測することができないためこの指摘が正しいかどうかを知ることはできないのですが、本作を読んだ現代の読者はほとんどがこの指摘を的外れだと思うのではないでしょうか。
これは現代の読者が「信頼できない語り手」の文法に慣れ、地の文の客観的な叙述と手記形式の主観的な叙述を分けて読むことができるようになったからでしょう。逆に言うと、1970年当時の読み手にはこの文法がそこまで浸透していなかったからこの論文がこれほど取り上げられたのだと考えられます。当時はまだ本作の仕掛けに追いついていなかったのでしょう。
本作の発表は1928年であることを考えると、夢野久作が凄まじく時代を先取りしていたことに驚かされます。

一足お先に ★4.5

「名店の味をワンプレートで味わえるお得な定食」的な、夢野久作の持ち味が生かされつつ読みやすくきれいにまとまった良作短編。瓶詰地獄のようなギミック尽くしの凝った構造のものの直後にこれが来るのだから久作の芸の広さに恐れ入ります。
悪性の腫瘍で右足を切断した主人公は入院中に幻肢痛に悩まされるようになるのですが、やがて夜中に切られた脚が勝手に歩きだしているかのように夢中遊行する夢を見るようになります。
「夢中遊行中の犯罪」というドグラ・マグラにも通じるテーマが登場する本作ですが、そのプロットは特にあの大作のプロトタイプを感じることができます。「読めば精神に変調をきたす」と言われる『ドグラ・マグラ』に対して本作は良くも悪くも整っていて、ちゃんとフィクションとして自立しているのもとっつきやすいところ。

狂人は笑う ★4.5

ちょっぴり贔屓目込みで4.5。
2篇のエピソードからなる作品ですが、後者の「崑崙茶」が個人的に好きなんですよね。

青ネクタイ

精神異常者による説話形式という夢野久作の得意なフォーマットの中でも、本作は完成度が高い方に位置しています。
時系列がおかしな判断とか怪力とか「読む側はわかる」要素の忍ばせ方が巧みなんですよねえ。
ひとり語りの形式をとっていても次の作品「崑崙茶」でも見られるような「エッ、~ですって?」と「話す相手のリアクションを取り込む」という主人公が喋らないタイプのRPGみたいな表現を使っている作品もあるのですが、本作はそれも一切なし。これで必要十分な説明をやりきるのですから流石の手腕です。

崑崙茶

どこがと聞かれても答えられないのですが、個人的に好きな作品です。
至高の芳香と高い中毒性を持つ「崑崙茶」という幻の中国茶に関するハッタリが本編の大半を占めるのですが、このハッタリがとても良い。すべてがイカニモ「それっぽい」んですよねえ。
前述の「エッ、~ですって?」方式を多用しておりその点での評価は一段下げてしまうのですが、エピソードの好きさで贔屓しました。

キチガイ地獄 ★4.0

この8巻に多く収録されている「精神異常モノ」の一番基本形ともいうべき一編です。
「精神状態が回復して自己を取り戻したので退院したい、その証拠に自分の身の上を聞かせましょう」と精神病院の院長を訪ねたと称する一人語りの形式でストーリーは描かれます。おなじみの形式ですね。

それでは事実を打ち割って告白致しますが、何を隠しましょう、私は殺人犯の前科者です。破獄逃亡の大罪人です。婦女を誘拐した愚劣感であると同時に、二重結婚までした破廉恥極まる人非人……。

と語り始めた彼の告白は北海道は小樽の秘境から繰り広げられる雰囲気たっぷりの奇妙な物語となっています。
しかしタイトルが雑だな!

復讐 ★3.5

とある山裾の病院の院長に収まった若く優秀な医師・健策は亡くなった前院長の養女と結婚が決まっていましたが、その嫁は「父の仇討ちをするまでは結婚はしない」と結婚を延期します。
彼女の亡父の死の状況を健策が語り、その謎とそれに対して披露される患者の推理がメインになる、珍しく「普通の推理小説」っぽい組立ての作品です。
しかし当然そう一筋縄でいくはずもなく、披露される推理も、そして訪れる結末も、夢野久作ならではのものとなっています。

冗談に殺す ★4.5

わずか24ページのこの作品は前後編に分かれています。
前半の冒頭、新聞記者の「私」が「完全な犯罪」に魅惑されていることを語り、その完全な犯罪の道具立て、そしてその末路まですべてが鮮烈。それら全てが高濃度で収まっているのです。このような凄まじい切れ味の作品が転がっているのですから、夢野久作は短編だと叫びたくもなります。
僕は以前もこの短編を読んだことがあったのですが、犬に関する本編中のシーンが非常に強く印象に残っていました。よくこんなこと思いつくな…。グロい筆致がそのまま作品全体の迫力と独特な説得力につながっています。

木魂すだま ★3.5

第3巻に収録の「童貞」のような、「秀才が死神に取り憑かれる」系の話。ヘッセの『車輪の下』のような読み口です。
幼い頃から数学へ情熱を燃やし続けた彼に囁いていた「声」をめぐって語られる彼の人生のドラマと生死、霊、狂気、一瞬で命を奪う鉄の怪物…様々なモチーフが核融合した静かな迫力を持つ怪作です。

少女地獄 ★4.5

1つの中編と2つの短編からなる連作。
どれも全く違ったスタイルでありながらそれぞれ味わいがあり、読み終わってみると確かに「少女地獄」であったと感じられる作り込みの深い作品群です。
ちなみに「殺人リレー」「火星の女」はそれぞれ映画化しているそうですが、中編「何んでも無い」だけはしていません。読んでみるとたしかにこれは文章で読んでこそだなという気がします。

何んでも無い

僕の好きなお話のタイプに「開始時点で既に死んでいる登場人物が、後に残された人たちを翻弄する」ものがあります。それに近い味わいのある作品です。
本作は看護婦・姫草ユリ子の自殺を受けて彼女を雇っていた開業医・臼杵が医学部の先輩である「白鷹先生」に手紙を書くという設定の書簡体となっています。
可憐な美少女・姫草ユリ子が彼の前に現れてからいかにして彼と「白鷹先生」を翻弄したかを解き明かしながらその死の真相に迫っていくストーリーは、ともすればユリ子による絶妙な詐欺の手口を楽しむピカレスクにもとれそうなほど面白く読ませるものなのですが、その結末に至るにつれ「少女地獄」があらわれてきます。ラストにカタストロフを置くことを好む夢野久作にあって、読者の中で完結させるような余韻を残す本作の構成は特別な読後感を与えます。名作です。

殺人リレー

こちらは一転して都会で女車掌になった登場人物たちを襲う殺人鬼の存在が語られる、荒木飛呂彦の短編のような雰囲気の作品です。
連続殺人鬼・新高の存在を知り、そして自分が次のターゲットになったことを自覚するも彼に惹かれてしまうトミ子の連続書簡という形で物語は語られます。ここで視点人物がトミ子でなく「トミ子からの手紙を読む智恵子」であるという距離感が絶妙で、単なる殺人鬼とターゲットの話というだけでなく一歩引いた視点で働く女性に対する男性社会そのものを意識させられることになります。これもまた構成の妙によってそれと語ることなく「少女地獄」を浮かび上がらせる良作です。

火星の女

映画版のタイトルは「オデッセイ」です。(嘘)
県立高等女学校の校内で黒焦げの変死体が発見されたという新聞記事からはじまり、捜査が進み情報が明らかになっていくさまが連続する新聞記事の形で描かれます。そしてそこからの収束はぜひ本編を読んでもらいたいところ。
物語の大枠すら見えない、変死体しかない状態から話が始まって情報が明らかになっていくのが面白い話なのでこれ以上は言えません。
これもやっぱり情報の出し方がうまいなあ。ストーリーテリングの技術が本当に先進的で、世界規模で見ても数十年先の推理小説の技術を先取りしています。夢野久作のこうした「推理小説の技術」はもっと評価されるべきだと思います。