21/02/20 【感想】十日間の不思議〔新訳版〕

ぼくを見張ってほしい――たびたび記憶喪失に襲われ、その間自分が何をしているのか怯えるハワード。探偵エラリイは旧友の懇願を聞き入れて、彼の故郷であるライツヴィルに三たび赴くが、そこである秘密を打ち明けられ、異常な脅迫事件の渦中へと足を踏み入れることになる。連続する奇怪な出来事と論理の迷宮の果てに、恐るべき真実へと至った名探偵は…
巨匠クイーン円熟期の白眉にして本格推理小説の極北、新訳で登場
(本書ハヤカワ・ミステリ文庫裏表紙より)

エラリイ・クイーン『十日間の不思議〔新訳版〕』を読みました。

十日間の不思議ですよ、十日間の不思議!
僕はクイーンの作品をまとめて読んだときに自分の中でランキングを付けながら読んでたのですが、本作(の旧訳版)は7位においてました。なので「クイーンのマイベスト!」ってわけではないです。でもねー、やっぱり十日間の不思議は特別なんですよ。1位は『Yの悲劇』なんですけど、Yの悲劇の新訳が出るぞってなってもこんな興奮はしないと思います。十日間の不思議の新訳だからこんなに興奮するんです。
クイーンの作品中でも、そして本格ミステリというジャンル全体においても特別な地位を占める作品です。

いやーーー面白かった!普段本を読むのが遅くて文庫1冊読むにも1週間ぐらいかかるんですが、2日で一気読みしちゃいました。
前の訳でも一度読んだことがあるのでこのお話を読むのは二度目なんですが、前回は1日で読んじゃいました。それも締切の迫る原稿を抱えながら(いや、そのせいだったかもしれませんが)。

それくらいこの作品は「面白い」
終盤の展開が凄まじいのでどうしても本書の話をするときそこが中心になってしまうのですが、本書は全編通してめちゃくちゃ面白い。

多くのミステリは事件が起きて探偵のご登場と相成って物語が始まるわけですが、本書で名探偵エラリイは冒頭のあらすじにもあるとおり「たびたび記憶が飛ぶことがあって、記憶を失ってる間に何してるかわからなくて怖いから見張っていてくれ」という依頼を受けてついていくことになります。
つまり「どんな事件が起きるかわからない」状況で物語が始まり、そしてそのまま進んでいくんですよね。

『Xの悲劇』で初めてミステリを読んだ森博嗣は、

なにしろ、ミステリィというものの存在すら知らなかったので、どうして謎を謎のままにして話が進むのだろう、と不思議でならない。
(講談社文庫『森博嗣のミステリィ工作室』より)

と感じたそうですが、ミステリに慣れていると『十日間の不思議』は逆に「どうして事件がおきないまま話が進むのだろう、と不思議でならない」。

事件は起きないまま、なにか起こりそうな雰囲気ばかりどんどん煽られていくんです。なにかとんでもない、おぞましいものが確かに潜んでいる、なにかが起ころうとしている、という気配だけがずっとある。その姿が見えてこない。なにが起こるのか知りたいという一心でページをめくらずにはいられません。

画像より下はネタバレ感想です。
感想、とは言ったものの…たぶん『十日間の不思議』の感想って一生まとまらないんですよね。ミステリ沼という底なし沼の底にあるような作品なので。
なので今回は「2回目を読んでみての印象」って感じです。

画像1

▲目次がもう良い。こういう目次だいすき。

はい、ネタバレ感想です。『十日間の不思議』です。

再読してみてなんというか、解決すべき事件、解くべき謎がないと名探偵ってこんなにも無力なんだなあとしみじみ感じた次第。
「名探偵 事件なければ ただの人」と一句詠みたくなるような。
シャーロック・ホームズのシリーズとかだとホームズが前触れだけで企みを看破し事件を未然に防ぐような作品も結構あったりするのですが、いつしか探偵は事後専門になってしまいました。そして本書は事後専門、解釈専門になった探偵が打ちのめされる話でもあり。

事件さえあれば探偵は悪を打ち倒すヒーローとして振る舞えるのですが、本作のエラリイは事件がないのでただの人。それどころかなんのヒロイズムも振るわぬ前に犯罪の片棒まで担がされてしまいます。
犯罪捜査に動いているときであれば探偵が盗み聞きをしても泥棒に入っても「探偵行為」に見えるのですが、捜査するべき事件もなく不倫の隠蔽に奔走するエラリイのまあ情けないこと。
エラリイと、彼を通して物語を読む読者の中に罪の意識が植え付けられていくのが読んでいて本当にしんどい。

言いようによっては、本作はエラリイを名探偵と誤認させる叙述トリックだと言えるかもしれません。
世の中には決まった探偵役をおかず、犯人に翻弄された一群のひとりないし複数が最後に仕掛け人の面前に現れ告発するという筋書きの作品も多くあります。それらはホラーやパニック、バトルロイヤルという(サブ)ジャンルに分類されることが多いですが、本作の骨格はむしろそうした作品に似ています。
ディードリッチに操られた3人の被害者、ハワード、サリー、そしてエラリイ。エラリイはハワードがサリーを殺したものと誤認させられハワードを葬り、そして最後に生き残ったエラリイが真実に辿り着き真犯人と対峙する。
これは上に挙げたような(サブ)ジャンルでは割とよく見られる展開ですが、本作では読者に「これはエラリイを探偵役とする本格ミステリである」という暗示がかかっているため衝撃の展開になるわけです。

あと初読のときも思ったんですが、本作はババアがほんといい味出してますね!ディードリッチの母、クリスティーナ・ヴァン・ホーン!
事件には一切関わっていない、いなくても成立するキャラクターなのですが、このババアの存在が本書の「なにかとんでもない、おぞましいものが確かに潜んでいる」雰囲気をかきたてています。
ディードリッチ・ヴァン・ホーンによって「作られた」と自認するハワードとサリーはさながら創世記のアダムとイヴのようであり、そしてディードリッチが神のように思えてくるという刷り込みが本書の結末に迫力を与えているのですが、その刷り込みのための仕込みとしてめちゃくちゃ機能している最高の名脇役です。

次以降の段落は『ドグラ・マグラ』のネタバレも含みます。
ネタバレまでの紙幅稼ぎのためにする余談なんですが、本書で

この語源学のアインシュタインはエラリイを"今後末長く、十の戒律と十の論理の探偵と呼ばれるべき人物"と評した。

とされている箇所は確か旧訳だと十戒(Decalogue)と十の論理(Deca-logic)のシャレであることがわかるように書いていたと思うのですが、新訳版ではやめたんですね。こういうクイーンの言葉遊びはクドいときがあるのでカットするのもまた英断かな。
あとこの前のページ(p377)に載ってるエラリイ賛美の見出し一覧的なの読んでNYタイムズの田中将大評一覧思い出して笑っちゃった。

はい、ドグラ・マグラのネタバレパートです。

再読して「この話をハワード視点で見たら『ドグラ・マグラ』になるな…」ってなんとなく思ったってだけの話なんですけどね。

『ドグラ・マグラ』の中で主人公へ示唆される話に「記憶喪失の主人公は呉一郎という人物で、呉一郎は九相図を見たことでそれを描いた先祖の意識に染まって婚約者を殺害した」というのがあったかと思います(細部違ってたらゴメンナサイ)。
本書でハワードは9日目に「お前は記憶喪失になっている間に十戒をすべて破るという衝動に駆られて不義の恋人を殺害した」という推理を突きつけられ自殺するわけで、かなり『ドグラ・マグラ』の「私」と通じる部分があるのではないかと。
『十日間の不思議』は「9日間の間におきた記憶喪失はディードリッチが薬を盛ったもので、実際には犯していない犯罪を犯したと信じ込ませるためのトリックだった」という真相でしたが、『ドグラ・マグラ』もそうでないとは言い切れないのではないか、と…。