22/07/18 【感想】コンスタンティノープルの陥落

以前、飲食の場で偶然、高校時代親しかった後輩に会ったことがありました。
そのとき彼は大学院で歴史を専攻していて、それを興味深く思った僕は色々と話を聞かせてもらいました。
僕は学生時代、歴史が本当に苦手でした。そしてテストだけ丸暗記で乗り切ってはテストが終わるや全て忘れるというスタイルを貫いた結果、見事に歴史音痴になっていました。そこで歴史を大学院まで行って勉強しようという人の話を聞いてみたいと思ったのです。

そのとき彼に聞いた話で特に印象に残っているのが、「自分も高校時代は歴史はそんなに好きじゃなかった」「中学や高校でやる世界史は大きな流れを勉強するが、院で研究する歴史は特定の一日に何があったのかみたいなミクロな部分を扱う、感覚としては映画を撮るような営みで、これが面白かった」というもの。
この「映画を撮るような」という例えが当時特に印象に残ったのですが、今回塩野七生の歴史小説『コンスタンティノープルの陥落』を読んで、そのことを思い出しました。

一都市の陥落が一国家の滅亡につながる例は、歴史上、さほど珍らしいことではない。だが、一都市の陥落が、長い歳月にわたって周辺の世界に影響を与えつづけてきた一文明の終焉につながる例となると、人類の長い歴史のうえでも、幾例を数えることができるだろうか。そして、それがしかも、年がはっきりしているだけでなく、何月何日と、いや時刻さえもはっきり示すことができるとしたら……。

塩野七生『コンスタンティノープルの陥落』の書き出し

現在もトルコ共和国の最大都市であるイスタンブールはかつて東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルであり、ということは歴史上のどこかにこの都市が東ローマ帝国のものでなくなりオスマン・トルコのものになった日が存在するのだということは理屈では当然のことなんですが、その日付もハッキリしていてその日の何時に何があったのかまで記録が残っているということには何らかロマンを感じてしまいます。
まして東ローマ帝国といえば紀元前8世紀に端を発する古代ローマにそのルーツを求めることができ、高校で「大きな流れ」として学んだ世界史のほぼ全域をこの一日を境に塗り分けることができるとなれば。

本作の最大の魅力はなんといっても題材が「コンスタンティノープルの陥落」であることでしょう。タイトルがネタバレ。
文化的にも大いに栄え、幾度も栄光に浴してきた文明が、その終焉の瞬間、カタストロフへ向けて収束していく最後の数日間には滅びの美しさのようなものを覚えずにはいられません。

このコンスタンティノープル最後の数日については東ローマ人、そこに駐留していたヴェネツィア人、そしてオスマン・トルコ人の日記や回想録などから辿ることができるそうです。
本作はそれぞれの筆者複数人を主人公として、彼らがカタストロフの瞬間へ向かっていくさまを資料をもとに脚色を加えて歴史小説として書き起こしています。

特に好きなシーンをひとつ選ぶならば、コンスタンティノープル陥落の前日。翌日にオスマン・トルコ軍が総攻撃をかけることが分かっているコンスタンティノープル城内ではそれまでいがみ合っていたカトリック教徒とギリシャ正教徒が初めて共にミサを行い、抱き合います。
この一日の凄絶な美しさは、きっと「映画」になるのだろうなと思いました。

ところで「オスマン帝国がなくなってからまだ100年経ってないんだよね」って僕の中では定番の世界史意外ポイントだったんですけど、オスマン帝国の滅亡は1922年11月17日なのでもうあと数ヶ月で100年以上の昔になるんですね。
色々歴史の遠近感みたいなものを感じた読書体験でした。