21/05/11 「押絵の奇蹟」覚書

※この記事は夢野久作「押絵の奇蹟」を読んでの覚書です。同作のネタバレだらけです。読みながら「誰と誰が似てるって??」と混乱したため、考えの整理のため書いています。

明治30年代、美貌のピアニスト・井ノ口トシ子が演奏中倒れる。死を悟った彼女が綴る手紙には出生の秘密が……。(「押絵の奇跡」)


作中には複数の解釈が示されます。

【解釈1】トシ子と新太郎は腹違いの兄妹である。トシ子は中村珊玉(先代中村半太夫)と「お母様」が不倫して生まれた子で、新太郎は中村珊玉が妻となした子である。(世間やトシ子の「お父様」の解釈)

【解釈2】トシ子と新太郎は双子の兄妹である。二人は中村珊玉とお母様が不倫して生まれた子で、新太郎はオセキ婆さんが取り上げてすぐに中村珊玉のもとへやった。(トシ子の解釈)

【解釈3】トシ子と新太郎の間に血の繋がりはない。トシ子は「お父様」と「お母様」の間にできた子だが、その容姿には「お母様」の中にあった中村珊玉への恋心が映った。新太郎は中村珊玉が妻となした子である。(トシ子のもうひとつの解釈)

またトシ子の容姿について、以下の情報が作中で示されます。

①中村珊玉の舞台姿に似ている(世間や「お父様」の認識)
①‘日によって押絵に描かれた犬塚信乃に似たり阿古屋に似たりする(トシ子の認識)
②お母様に似ている(トシ子の認識)
③新太郎と瓜二つである(トシ子の認識)

押絵の犬塚信乃と阿古屋はいずれも中村珊玉の舞台姿をモデルにしているため、①‘は①の派生であるといえます。

容姿の相似について、以下のパターン(法則?)が作中で示されます。

A. 子は親に似る
A+. 男は母親に、女は父親に似る
B. 母親が強く想った相手の姿が生まれてくる子に顕れることがある

A.はもちろん、A+.は作中で強調されています。

以上を踏まえて各解釈をおさらいすると、

【解釈1】トシ子は中村珊玉と「お母様」の子であり、新太郎は中村珊玉とその妻の子である。
という解釈は、トシ子が中村珊玉に似ていることをパターンA+で説明できます。新太郎が父親似だとすると、トシ子が新太郎に似ていることも説明できます。ただし男は母親に似るというA+の法則を採用するならば新太郎は中村珊玉の妻に似るはずなのでトシ子からは離れることになります。

【解釈2】トシ子と新太郎は中村珊玉と「お母様」の子である。(一卵性双生児)
という解釈も、トシ子が中村珊玉に似ていることをパターンA+で説明できます。また、A+の法則を採用すると新太郎は「お母様」に似ることになるのですが、「トシ子はお母様に似ている」「トシ子は新太郎と瓜二つである」と経由して相似を一応説明できます。

【解釈3】トシ子は「お父様」と「お母様」の子であり、新太郎は中村珊玉とその妻の子である。
本作を本作たらしめている「押絵の奇蹟」解釈です。トシ子が中村珊玉に似ていることを、母親が妊娠中強く想った相手の姿が生まれてくる子に顕れるというパターンBによって説明するものです。またこの解釈は「お母様」の「不義を致しましたおぼえは毛頭御座いませぬ」という証言と整合する唯一の解釈になっています。
トシ子が「お母様」と似ていること、新太郎と似ていることがともにパターンAで説明できます。

以上のように、3つの解釈はいずれも作中で示された相似を一通り説明できるものです。

世間的な評価である相似①は真実として、トシ子の自己評価である②③は眉に唾つけて見る必要がある…いわゆる「信頼できない語り手」として読む必要がある…と考えていたのですが、整理してみたら②③を信用してもしなくても解釈が増えたり減ったりしませんでした。一応③とA+によって解釈1を棄却できるのですが、厳密に③とA+を適用すると解釈2と解釈3も消えちゃうんですよね。

解釈1~3のどれを信じるかは、「お母様」の死に際の言葉を信じるかどうかにかかっています。
「お母様」が不倫をしていないならば解釈3が、不倫をしていたならば解釈1と2が残ります。解釈3は「お母様」の潔白を証明したい一心でトシ子が辿り着いた解釈です。

ただ、個人的には解釈2の双子説を支持したいところです。
というのも、作中でオセキ婆さんが妊娠中のお母様のお腹を見て「これは大きい。よっぽど大きな男のお子さんに違いない」と言ったにもかかわらず「生れた私は普通の大きさの女の子でした」とわざわざ書かれているため。
またメタ的な話になりますが、解釈3が真実ならば解釈1と解釈3だけ書けば話は成立するため、この解釈2をわざわざ書いたということは解釈3はダミーではないかという気がしています。

トシ子が不義の子だとすると「お父様」はトシ子のことも殺めるであろうと考えられるため、「お母様」としてはなんとしてもトシ子だけは守ろうと考えると「不義を致しましたおぼえは毛頭御座いませぬ」と言うほかなかったのではないでしょうか。