22/10/29 【感想】なぜ今、仏教なのか

ロバート・ライト『なぜ今、仏教なのか』を読みました。

シャワーを浴びるも冷凍庫の力で奇跡の復活を果たした本です。やっぱり仏様ってすげえや!そういう話ではないです。
本書の副題は「瞑想・マインドフルネス・悟りの科学」なのですが、主に仏教におけるこの3点とその周辺の教えがテーマとなります。
筆者は瞑想合宿に何度も参加し普段の生活でもマインドフルネスを実践していて、その体験を言語化してくれるのが良い。
「悟り」は言語化できないもので、それゆえに禅問答が存在するのですが、瞑想やマインドフルネスの体験も同様にあまり言語化されていない領域です。仏教の瞑想をするときに「こうなると成功です」というものが存在してしまうと「成功したい」と考えてしまうようになり、仏教の瞑想とは真逆の方向に向かってしまうからだそう。読んでナルホドと思いました。

この本はこれら筆者の体験と、仏教の教えるところ、そして最新の進化心理学(進化論と心理学の発展)の3つを参照しあって「確認」していくのが非常に興味深いです。
例えば仏陀は「無我」の教えとして「王であれば自分の支配する国で権力を行使して罰金を科したり処刑したりすることはできるが、あなたは自分の感覚や知覚を自分で好きにすることはできない」から「感覚や知覚はあなたのものではない」ということを言っています。確かに自分で意識して頭痛を止めることはできませんね。
本書ではこれを「自我」が自分という個人のCEOではない、という表現で書いているのですが、これを裏付ける実験が20世紀にいくつも行われていて、その研究を引いてきて仏陀の教えを裏付けるわけです。実は身体の色々な部分から主張が上がってきて、そのバランスによって感覚や感情が生まれているだけなんじゃあないかと。
これを読んで『ドグラ・マグラ』を思い出しました。ドグマグには「脳髄は物を考えるところにあらず」「全身の細胞から上がってきたものの交換所にすぎない」という主張が出てきますが、これはとっても当を得ていたんですねえ。

さて、本書では「なぜ仏教なのか」だけでなく「なぜ『今』なのか」も語られます。紀元前5~7世紀(諸説ある)の生まれと言われる釈迦が解いた教えが、どのように現代にフィットしているかという考察。これが特に面白い。

例えば欲や怒りを切り離すマインドフルネスがなぜ「今」有効なのか。
種としての人類は食欲が備わっているおかげで高カロリーな食べ物を摂取し、欲に従うことで生存確率を上げて進化しました。しかし「今」、食欲に従ってばかりいたらラーメンばかり食べて逆に寿命を縮めることになるでしょう。
祖先が群れで生きる中で、怒りの感情が備わっているおかげでナメられたり不正義を受けたりしたときに殴り返すことができ子孫を残す競争の助けとなっていました。しかし「今」、高速道路でムカついたとしてもその相手は今後二度と会うことのない相手で、時速100kmで競争に応じることは生存の上で不利にしかなりません。
このように進化の中で生存競争を有利に立ち回るために獲得した欲や怒りは「今」では邪魔なものになっています。だから、それらを切り離すことのできる仏教の教えは「今」特に意味のあるものになっている…といったような調子。

僕は仏教知識は普通に日本で生きて得た一般常識と『鉄鼠の檻』で読んだものくらいしかなかったのですが、この本はとても分かりやすく、興味深く読むことができました。日本人よりも更に仏教に馴染みの薄い欧米の読者向けに書かれていたのがよかったのでしょう。
僕も今日から瞑想するぞ~!とはならなかったのですが(そういう本でもありません)、知的好奇心はとっても刺激されましたね!良い読書ができました。