23/06/07 【感想】幽霊屋敷

「わたしはやってない。それがやったの」
「誰がやったと?」
「部屋がやった」グウィネスはそう答えた。

ジョン・ディクスン・カー『幽霊屋敷』創元推理文庫

創元推理文庫から今年4月に新訳版で出たジョン・ディクスン・カーの『幽霊屋敷』を読みました。
創元推理文庫のカー新訳シリーズがゆっくりながらもちゃんと続いていて、こうしてあまりメジャーでない作品たちも再録されていっているのがとっても嬉しいです。創元さんありがとう!

さて、本作はいわくつきの館に登場人物たちがやってくると「突然くるぶしをつかまれた」「止まっていた時計が動き出した」と"いかにも"な雰囲気になり、遂には「誰も触れていない銃が飛び上がり人を射殺する」「シャンデリアが人に落ちてくる」と「事件」が起こります。

怪奇趣味と不可能犯罪というカー・ファンとしては「待ってました!」な取り合わせですが、怪奇趣味は抑えめ。それどころか不可能性の強調も控えめで、どこか捉えどころのない読み口です。
これは『九人と死で十人だ』『かくして殺人へ』等の同時期の作品とも似た傾向ではあるのですが、それらの作品は抑制された雰囲気そのものに読み応えがあったり殺人事件以外のドラマで読ませたりしてくれるのですが、この『幽霊屋敷』はそれがないため中盤はダレていた印象です。
(新訳文庫版の解説には、カーはなぜこのように怪奇趣味を抑えた書き方をしたのかという考察が書かれているのですが、個人的にとても面白かったので本編を旧訳版で既に読まれている方にもおすすめです!)

一方で終盤に入ると、それまでの展開からは思いもよらないような展開が続きます。
終わってみると、「怪奇趣味と不可能犯罪」というカーのいつもの好物を扱った作品でありながら、それ以外の部分にミステリ的ロマンを感じさせてくれた作品でした。(詳しくはネタバレ感想パートで)

例によって最初に読むカーとしては全くおすすめできませんし代表作にもならないものだと思いますが、カー・ファンとしてもミステリファンとしてもなかなか楽しめる作品だったと思います。

あらすじより下はネタバレ感想です。

かつて老執事が奇怪な死を遂げた幽霊屋敷ことロングウッド・ハウス。イングランド東部のその屋敷を購入した男が、なにかが起きることを期待して、男女六名を屋敷に招待した。不可解な出来事が続くなか、なんと殺人事件が発生。しかも、現場に居合わせた被害者の妻が信じがたいことを口にして──。巨匠カーが持ち味を存分に発揮したフェル博士シリーズの逸品が、新訳で登場!

幽霊屋敷 - ジョン・ディクスン・カー/三角和代 訳|東京創元社

ここからネタバレ


カーの作品の感想としてしばしば言うことなんですが、今回も言わせてください。

よくこのネタで長編書いたね!?

このトリック、普通短編にするよ…。カーの作品はほんとこういうの多い。これは100%褒め言葉として言っています。普通のミステリ作家なら思いついても短編に使って初期の探偵ガリレオみたいになるよ…。

というわけでホワイダニット部分はシャンデリアが動くのも銃がひとりでに飛び上がって発砲するのも全部電磁石で説明されるという大槻教授みたいな身もフタもないものです。

電磁石に思い至ることができれば容易に辿り着けるトリックなのですが、それ自体が事件の構造に活かされているというのがすごいところ。
「電磁石に思い至ることができたのでこのトリックに辿り着けた」クラークが、アンディ・ハンターに「電磁石に思い至らせトリックに辿り着かせた」という真相になっています。

つまり、カーは普通なら短編にしてしまいそうな単純なトリックを「単純であることを活かして長編ネタにした」わけで、本当にカーのトリックをミステリに膨らませる才能と情熱には感嘆を禁じえません。


またこの作品では、電磁石屋敷の構造を知っている真犯人がそれを隠蔽するためにオカルトを捏造して装飾するという、普段は作者がやってることをしています。
そのため謎解きシーンでは「オカルトの捏造」を喝破することをやっているのですが、これが小粒ながら小気味良いものでした。

テスの「何者かに足首をつかまれた」という発言をクラークはとっさに捏造オカルトに取り入れ、「実はこの屋敷に出る幽霊は人の足首をつかむ習慣があって…」と創作しました。
このテスの発言がただの口からでまかせだったことを示し、「足首をつかまれたのは15分前に思いついた嘘だったんですが、なぜこの屋敷のいわくに足首をつかむ話が?」という。
このあたり、カーが後に書く大大大傑作の萌芽のようなものも感じられて嬉しくなっちゃいますねえ。


個人的に、この作品において最も魅力を感じたのは「屋敷そのもの」です。19世紀に当時の屋敷の所有者がこっそり電磁石を仕込んだ屋敷。
これを見つけたクラークが殺人を思いつき、そして同じようにアンディも殺人を思いつく…。
以前のカーの作品に「人を殺す部屋」がありましたが、この屋敷は「人に殺人を企図させる屋敷」です。数々の呪いの館が登場するカーの作品群にあって、個人的には最も呪わしい館じゃあないかと思います。
これって、それこそ綾辻行人の館シリーズにも続くようなミステリ的大ロマンじゃないですか!?

そう考えると、フェル博士のあまりにも大胆な「解決」――屋敷に火を放ち爆破する――というものにも納得がいきます。
アンディ・ハンターはクラークによって電磁石殺人を示唆されたわけですが、更に元を辿るとクラークも屋敷そのものによって電磁石殺人を示唆されたわけです。
この「あやつり」の大元、邪悪の根源を探偵がやっつけることで「解決」するというのは、大胆で豪快なように見えて実は正攻法なのではないでしょうか。

解説では「あやつり」テーマについてクイーンやクリスティの作品とも並べて語られていますが、あやつりの元の元を辿るとクイーンは神学テーマに行き着き、クリスティは人間の邪悪さに行き着き、カーはトリック屋敷(もしくは奇術趣味)に行き着くというのは、実によくこの3人の作家の方向性が表れていると思います。