22/05/06 スティール・ボール・ランのこと

言わずとしれた超名作、今更わざわざ好きだと言うことすらはばかられるようなあの荒木飛呂彦のジョジョ第7部にあたる「スティール・ボール・ラン」ですが、当然僕もめちゃくちゃ好きです。
一番好きなジョジョは7部の主人公ジョニィ・ジョースターですし好きなバトルを5つ挙げればポーク・パイ・ハット小僧戦は必ず入れます。
とにかく良いところがたくさんあるスティール・ボール・ラン、僕は単行本が出るたびに買って追っていたんですが、後からまとめ読みしてもそのたびにめちゃくちゃおもしろいんですよねえ。やっぱり傑作です。
ということで今更スティール・ボール・ラン(以下SBR)の話をしたくなったのでお付き合いください。なるべくネタバレは避けています。

スティール・ボール・ランの大きな魅力のひとつが、登場するレース参加者たちがみんな何らかの夢や目的、野望を抱いてレースに参加していることでしょう。
第3部のような「承太郎たち主人公チーム」対「DIOの差し向ける刺客たち」というシンプルな二極構造も分かりやすく痛快なエンタメを生んでいたのですが、こと第7部SBRに関してはそれぞれの登場人物が異なる目的を持っているのがイイ。
そもそもが全員レースの優勝を争うライバルなんですが、局面によって利害が一致すると協力関係になることもあれば敵対することもある、活き活きとした群像劇になっていますよね。

目的がそれぞれ別にありレース優勝はその手段でしかないからこそ、レース優勝で叶えたかったことを提示されて買収される参加者がいたりするのもまたダイナミック。
この「レースはそれ自体が目的ではなく手段である」というのはジョニィというキャラクターにも深みを与えています。第3部であればホリィさんを救うという目的とDIOを倒すという手段は不可分なものであり、それゆえにDIOを倒さずに終わるということはありえなかったわけですが、それに引き換えジョニィはどうか、と。

そして登場人物ひとりひとりに目的意識、そしてそのバックボーンとなる主義主張をもたせたことによってバトルがすごく引き立っていることも見逃せません。
ジョジョとしてばスタンドバトルですが、ハッキリ言ってしまうと2部から5部の頃にかけて見られた頭脳戦の駆け引きや巧みな能力バトルを作り出す力はやや衰えています。
ですがSBRでは対立する登場人物がそれぞれの主義を持つがゆえに、その主義のぶつかり合いという「意味」がバトルについてくる。
複雑化を極めた第6部から一転、第7部のスタンドは全体的に非常にシンプルです。主人公の能力、爪を回転して飛ばす能力だよ。ですがバトルがただの能力バトルから「主義主張のぶつかり合い」そしてその背景にある「コンプレックスの昇華」になっていることでとても芳醇なものになっています。
実際は単純な刺客として登場する敵キャラのための敵キャラも出てくるんですが、それでもアツさがブレないのは主人公たちが主義を持って戦うからでしょう。でもやっぱり名勝負は相手も主義が強いバトルが多いと思うよ。

さらに実によくできていると感じるのがレースに次いで加わったもう一つの要素である「遺体集め」。
北米に散らばる聖なる遺体を集めるというストーリーライン自体めちゃくちゃに面白い奇想なのですが、この「遺体集め」は作劇上でもうまく機能しています。
いわばパーツ集めなんですけど、パーツだから減ったりもするんですよね。レースは進んでいくしかないし、バトルの命のやり取りは命を落としたらそれきりなんですけど、集めた遺体は失うことを描ける。単純に遺体がどんどん集まって持ってるパーツが増えていくだけではなく、減る展開も描けるのがSBRのストーリーラインに起伏をもたらしています。

こうしてみるとSBRの舞台が開拓期のアメリカなのは実によく合っていると思いますね。
全く異なるバックボーンを持つ多国籍の人々が、ひとつの栄光を求めて時に団結し、時に対立しながら広い広い荒野を走る。そこには大きな秘宝が眠っていて、揃えた者にはとても大きなものを得られる。このドラマを載せる器はアメリカでなくてはなりません。
SBRはホントに背景がいいんですよね…だたっ広い草原が大胆なコマ割りで描かれるのが最高なんです。荒木飛呂彦のひとつの真骨頂だと思います。