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23/12/01 渡航前夜

12月になりました。台湾滞在期間も残り3ヶ月半になったということか。
僕は3月13日にこちらへ渡航してきたのですが、その日まではこの1年間の赴任のことをほとんど日記に書いていませんでした。なんかいきなり言ったら面白いかなって思って…(?)。
未だにTwitterの方では台湾に滞在していることはあまり言っておらず、隠してはないけど自分からガンガン言うこともしないくらいの感じになっています。これは特に信念があるわけではなく何となくこうしているだけなのですが、あえて言語化すると、海外に在住して仕事をしているっていうのは属性が結構強いのでアイデンティティがそっちに引っ張られるのをきらって、といったあたりでしょうか。

閑話休題、裏では渡航へ向けて準備を進めていたのですが日記には書いてなかったんですよね。そのため、渡航前日も「渡航前日の日記」を書いていません。ただ、この日記の重要な役割は「僕自身が読み返すための僕の記録」なので、記憶が残っているうちに書き留めておこうと思います。

まず前提として、渡航までに僕の精神は疲れ果てていました。
元は年明けすぐの渡航を予定していたのですが諸々の事務処理が遅れ、しかもその処理を仲介するはずの人が平気で2週間メールを放置する人で、その結果としてなかなか出発日が定まらなかったのです。
僕としては当然1年間家を空けるために生活の色々なものを収束させておく必要があり、冷蔵庫の中を頑張って空にしたりしていたのですが、そうして今まで連続してきた生活というものを打ち切った後に「やっぱり出発遅れそうです」となるとどうなるか。空っぽの冷蔵庫と共に、中断された家でのいつ終わるともしれない猶予期間のような虚無の生活がはじまるわけです。
この憂鬱さはとても言葉で書ききれるものではありません。また、当然台湾側の人たちのことを待たせてしまっているわけで、そのことに対する申し訳なさも合わさって当時の僕は精神的に参ってしまっていました。

やっとこさ渡航の日程が定まり、準備も済ませ…実は事務的なことは上記の2週間メール放置マンのせいで完璧には終わっておらず渡航翌日にも手続きをしていたほどだったのですが…かくして渡航前日となりました。
荷造りを終え、家の中はがらんとして。しばしの別れとなるこの地で、日本で過ごす最後の夜。何を食べようと考えても、全然食べたいものが浮かびません。実は当時僕は1週間ほど全く食欲がわかず食べたいものがない状態でした。何を食べようか考えていると時間ばかりが過ぎていき、お店は閉まっていき…結局、よく食べにいく近所のサイゼリヤに行きました。
確か野菜のスープとアロスティチーニ、トマトとベーコンのスパゲッティだったかを無理やり詰め込んだんだったかな。どれも好きなメニューだったのですが気分が落ち込んでいてあまり味がしなかったことを覚えています。

翌朝、トランクとボストンバッグを抱えてリュックを背負い、タクシーとバスを乗り継いで空港へ向かいました。その後のことは日記に書いたとおりです。
ホテルにチェックインすると、異国の地でひとりきり。楽しい旅行ならいいのですが、精神的に参っていた僕はシャワーを浴びながら「あと1年…あと1年!?」と気が遠くなるような思いでいました。

台湾は日本と1時間時差があるので腕時計や手持ちの電子機器の時計をあわせたり勝手に調整されたりしたのですが、なぜか僕が泊まったホテルの部屋に置かれていたデジタル時計が1時間進んでいたんですね。つまり日本時間になっていた。
これが僕をパニックにさせました。台湾のホテルの時計なんだから当然これが正しい現地時間だと思うじゃないですか。あれ、スマホやPCの時間を直したつもりでいたけど自動的に調整されたのを更にズラしてしまったのか!?とかなんとか。今となってはホントに情けない話なんですけど、実家に電話して「いま何時?」って聞きましたからね。精神的に参っている人は簡単にパニックになります。

そこから2,3週間かけてまともな精神状態に戻っていくことができたのですが、やっぱり大きかったのはこちらの職場に出勤して台湾の同僚ができたことですね。やっぱり人とのつながりは大きい、いわんや異国の地においてをや。

暗い話ばかりになってしまいましたが…というか、暗い話であることこそが今まで日記にこれらの話をあまりしてこなかった主要因なのですが、これもまた僕の体験。
いつか台湾での日記を読み返して懐かしく思う時がくるのでしょうか。任期が終わって帰国した後もなんだかんだ遊びには来ると思います。仕事でも望めば来れそうではあるのですが、でもそうなるとまた2週間メール放置マンとやりとりしないといけないのがなあ…。