22/02/06 【感想】カササギ殺人事件
それは夕方のニュースかもしれませんしゴールデンタイムのバラエティかもしれません。あるいは休日の昼間にやっているグルメ番組かもしれません。
高級食材をふんだんに使ってシェフが腕をふるい、絶品料理を作るさまがお茶の間に映し出されたとき。
家族の誰かがこう言いませんでしたか?
「こんないい食材使ったらそりゃおいしいよね」
我が家では母が言ってました。一番多く言ったのが母で次が父かな。
なぜ突然こんな話をしたかというと、この『カササギ殺人事件』も、様々な技巧を凝らし離れ業を決めているミステリでありながら、まず第一にその全体的な素材の品質の良さに言及したくなってしまう作品なんです。
本作の紹介を見るとまず最初に目に入るのは「アガサ・クリスティへの愛に満ちた完璧なるオマージュ・ミステリ!」という惹句です。
作者のアンソニー・ホロヴィッツはアーサー・コナン・ドイル財団が初めて正式にシャーロック・ホームズシリーズの続編を執筆することを認めた作家であり、イアン・フレミング財団にジェームズ・ボンドシリーズの続編の執筆者として選ばれた作家でもあるそうです。どちらも既に上梓され邦訳もされているのですが読んだことはありませんでした。
実際読んでみると「うわー、めっちゃアガサ・クリスティ!」って感じ。
オマージュとして書かれる作品にも色々あり、「オマージュ先の要素を取り入れる」とか「オマージュ先のクセを再現する」とか、いわばモノマネのようなスタイルをとるものもあります。
ですがこの作品が再現しているのはむしろアガサ・クリスティのもっと土台の部分。住民みんな顔見知りの村で、みんな秘密を持っていて、みんな少しずつ嘘をついていて、少しずつ疑わしいところがあって、事故とも故殺ともつかないような死をきっかけに波紋が広がっていって…という組立てそのものもクリスティ的なのですが、その実装である「ミステリの文章」そのものがクリスティ的。
具体的には、探偵がなにか特別な技術を使うわけでもないのに自然と関係者から証言をスムーズに聞き出していく感じとか、ひたすら聞き込み調査をしているだけなのに読んでいて全然飽きが来ない感じとか。
ここらへんの、ミステリとしての「生地のおいしさ」みたいな部分が再現されているのがすごい。具はそんなに特別じゃないのに、素材そのものの品質の良さから来る生地のうまさでパクパク読み進んでしまうミステリです。
…というところまでしかここでは語れません!!
上記の感想はこの作品に対する感想の半分でしかないのですが、もう半分は言えないのだ!続きはあらすじの下のネタバレ感想で。
ここからネタバレ
この作品の感想を書く時、「下巻を読み始めた時」の感想を書かずにはいられないでしょう。僕が見たいくつかの感想もみんな言及していました。
上巻全部この仕込みに使うのも、上巻と下巻の切り替えでこの大転換をはさむのも、「大技」の度胸とセンスがとても良い。上巻のオマージュ部分は中期以降のクリスティ的ですが、この大技は初期のクリスティ的です。
ただこのギミックだけを抜き出して評価すると、日本においては新本格以降だいぶ使い倒されてきたギミックではあるのでそこまで新鮮味はなかったかなという感じ。
ただ僕は下巻の冒頭をしばらく読んで、この大転換以外ギミック以外の部分に静かな興奮を覚えていました。
それは、「これはもしかして21世紀の『女には向かない職業』なのではないか?」という予感を覚えたからです。
僕の一番好きな推理小説はP.D.ジェイムズの『女には向かない職業』です。今まで何度読んだかしれません。
下巻は、なにかものすごくこの僕の愛するタイトルを思わせるものがありました。
主人公と共同経営者の関係、突然一人で探偵をすることになって、イギリスの田舎へ行って自殺と思われていた男の調査を始める展開。思わせぶりに下巻開始早々にP.D.ジェイムズの名前も出てきます。やっぱり作者も意識してるんじゃないか?
そしてこの表面的な展開以外の、上巻で散々「クリスティのオマージュ」の技術として見せつけられた「土台部分での再現」が、下巻では『女には向かない職業』に対して行われているような感じがするんですよ。情景描写と主人公の視点、モノローグや会話のテンポ、場面転換の作法、これらの細かい呼吸すべてがめちゃくちゃ『女には向かない職業』っぽい。
ラストの火事のシーン、完全に井戸のシーンじゃんね!
これは本当に『女には向かない職業』大好き人間が勝手に言ってるだけのことなんで本書と真正面から向き合っていない邪道な感想になってしまっているんですがご容赦ください。
結論としては、「あまりにも"現代"が舞台で、40代女性編集者が主人公だけど、それなのにとっても『女には向かない職業』」。
『女には向かない職業』が持つ大事な要素にして心を打つポイント、大学生くらいの年頃の女の子が主人公であるとか、先立った共同経営者との奇妙なバディ関係だとか、その美しい結末だとか、これらのチェックポイントに対してはことごとく逆行しています。それなのに生地の味だけめちゃくちゃ『女には向かない職業』なんです。なんだこれは。肉まんとあんまんくらい違うんだけど、でも中華まんなんですよって感じ。具が全然違うのに生地が一緒なんです。
そして「あまりにも"現代"が舞台」なのも上巻との対比がとてもダイナミックでよかったですねえ。
上巻であまりに解像度の高いクリスティのオマージュを読んでいたので、下巻で9歳のときにクリスティの書いた戯曲を譲り受けた孫が今では老人になってるシーンでは「時代の遠近感」をとても鮮烈に感じました。
アラン・コンウェイがメルケル首相と写真に映っていたり、クリスティの続編を書いている作家としてソフィー・ハナの名前も挙がったり、非常にビビッドかつ効果的に「現代のミステリシーン」が舞台だと感じさせてくれます。ここのあたりの演出センスが本作は本当にすごい。
そして読んでいる僕は主人公の過去から現在へ至るミステリ全体への愛情のようなものにとても感情移入し、どんどん引き込まれました。
かように素晴らしい読書体験をさせてくれた、クリスティから現代までミステリを掘り漁ってきたことへのご褒美のようなミステリでした。