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なんというか、そう友達

何を紡いで生くのだろう。

学校に通い終えて何も制限されることがなくなった今になって思う。

友達とは何であるのか?

自分が自分であると確かめてくれる存在。

自分もまた他人として人を見るようにそうする。

自分でない存在に何を求めるのか?

別に何も求めない。

ただ、そこにいてくれるだけでいい。

何も知らない人は

「もう、一心同体。運命共同体。他人とは思えない!」

と言っている。

寒気がする。

僕は君じゃないし、君も僕じゃない。

人って元来そうあるべきでしょう?

たとえそれが比喩だとしても、真剣にそう思うならばやめた方がいい。

意識し合えばし合うほどに溝が深まる。

なぜだろう。

それは自分が他人に成り得ないから。

愛が憎しみに変わる。

楽しさが苦になる。

自分が他人ではないのだから理解しようにも不可能である。

なのに、求め合う。

なぜだろう。

ふと思う。

隣にいつもいた人は友達だったのか。

僕を友達として認識していたのか。

だが、そんなことはどうでもいいことだ。

要はその人がどの程度の他人であったのか。

一人の人間であると認め合って初めて成立する関係。

人為的でなく自然に発展したならば尚よい。

「僕たちはどういう関係?」

「なんというか、そう友達」

他人と認識すればするほど、その仲は濃密なものになる。

2015/3/22

#日記

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