携帯_132

ASIAN KUNG-FU GENERATION の存在

先日、3月16日に大阪の堂島リバーフォーラムで行われたASIAN KUNG-FU GENERATION(以下 アジカン)のライブに行ってきた時の話です。

2012年の9月に横浜スタジアムで行われた10周年ライブ以来の参加でした。あの日はちょうど関東地方に太平洋から台風が接近してきた日でして、天候は不良でライブはどうなることかと思った矢先、奇跡的に雲の塊は関東地方を避けるように裂け一時は晴れ間も覗くというそんな日でした。

今回は空に濃い雲が覆っているものの雨は降らず、気温も暖かかったように思います。一人きりは久しぶりで話す相手もいないので端っこの方で人々の動向を見ていました。人が一つの場所に集まる高揚感が会場を包みこんでいるようで建物そのものが宿り木のようで微笑ましく思いました。ロックバンドのライブはどこか殺気立った人や普通と違った信念のようなものを纏っている人が多く見受けられるのですが、アジカンの客層は本当に普通の人でメンバーを投影したかのようでした。これはもちろん良い意味です。

私がアジカンを知ったのはNARUTOのOPに使われていた『遥か彼方』でした。当時は小学4年ぐらいだったと思います。小型のテレビに備え付けされているカセットビデオで録画をし、何度も見直していました。次第にOPの曲に興味を持ち始めたのは兄でした。何度も巻き戻しては

「踏み込むぜ アクセル!」

と口ずさんでいました。私はそれよりもlittle by little の『悲しみをやさしさに』の方が好きで必死に覚えようと口ずさんでいました。兄からは

「お前、女の曲の方か好きなんけ」

と揶揄されたものです。その通りなのです。実際、アジカンをはっきり認識するまでの間はほとんどといっていいほど音楽には興味が無くテレビから流れてくる音楽も誰が歌っているのか知らなかったほどです。

その証拠に、高校時代にそれについて恥をかいた出来事がありました。昼休みにイントロドンのようなコーナーが中庭で開催されたときの話です。なぜか調子に乗った私はYUIの『CHE.R.RY』を一択と掲げてステージに立ったのです。クラスから3人ずつ参加し3チームで争われるゲームでした。確か1問だけというルールに難題を抱えた企画だったと思います。正解のクラスに何の特典があったのかは覚えていません。司会者の号令を聞き、係が音源を流しました。10秒ぐらいながれたでしょうか。私は全くわかりませんでした。どこかのクラスが答えを言っているのも聞こえないぐらい恥を実感していました。なぜ私はこの場にいるのかと。正解はaikoの『花火』でした。曲名を聞いてもピンと来ないでいる自分を今は想像もしたくありませんが、今聞いてみてもサビぐらいしか分からず、曲名と合致するかも分からないぐらいの無知です。今、同じ事が起きても当時と同じ結果になりそうです。

そんな音楽無知の私は小学生の頃から長い時を経てアジカンに再開した時、私は大学生になっていました。カセットビデオの時代はとうに過ぎDVDはブルーレイなるものになり、NARUTOを見ていたテレビは地上デジタルで見れなくなって、やけに薄い板のようなものにすり替わっていました。当然ですが何もかもが変わってしまっていました。大学に入学し私にも辛うじて友人が出来、趣味などの会話をしている時に一人の友人からアジカンという言葉を聞いたのです。

「アジカンって知ってる?」

すべてはその一言でした。当然、私はあの頃の記憶など無く必死に頭をひねりながら知らないと大学生として危ないのではないかという強迫観念にさいなまれそうになっていました。苦し紛れに、聞いたことはあると冷や汗をかきながら答えたのは覚えています。そうすると彼は、良いから聞いてみて、と言い下宿先からCDを持ってきてくれました。2011年の夏でした。

まさに脳が弾け細胞という細胞が蠢くように、活性化したように、昔の記憶や散り散りになっていた断片が一ヶ所に集積される感覚に陥りました。借りた作品は『崩壊アンプリファー』から『マジックディスク』までのミニアルバムを含む9作品でした。『遥か彼方』との再会。『リライト』のアーティストだったこと。CMに起用されていた『ループ&ループ』と『ブラックアウト』の存在。すべてが新鮮でありながら妙な既視感に逢い「これは凄い再会だ」と一人で興奮し、しかし心は実に平然であり、一晩中聞き続けました。自宅に眠っていたNARUTOのCDを見ると確かにASIAN KUNG-FU GENERATION と書かれている。テレビや世間で脚光を浴びているアーティストとは違った、どことなく私と重なる冴えないメガネ男子をセンターに構えた地味なメンバー。この人たちからあの強烈なインパクトのある曲が生まれているのか。そのCDの写真はもちろん放映当時のものであるから、何かの間違いだと、こんなかっこいい曲を作る人たちが地味なはずがない、と失礼極まりない理由で調べるも、やはりどの写真にも冴えないメガネ男子がセンターにいるのです。その容貌と楽曲は現実と非現実のような形成をなし私に迫ってきたのを今でも心に刻まれています。

アジカンを教えてくれた友人とは毎日のように会い、どの曲が良い、ライブではこの箇所が少し違う、一度社会人になった苦労人だ、とか曲にとどまらず彼ら自身にも興味を示すようになりました。

ある日、バスケットボールサークルの同級生の家で飲み会を開いた時、深夜になり私と彼以外の皆が床で寝てしまい真っ暗になった部屋の中で『フラッシュバック』という曲について話し合ったことがありました。

「細部膜に包まって」いるのは過去の何らかに束縛されて身動きが取れなくなってしまった現実を生きる自分であり、「3分間で40倍」になったのは過去の何らかが茫洋と膨れ上がる様であると。それが自分の心の隙間に突き刺さったままであるということ。すべてをなかった事にしたいという意味での「超伝導」、「摂氏零度」。「醜い過去から」「醜い自分だけ」を「消し去る」。この部分はかなり話し合いました。どれだけの苦しみを負ったのか、その日を境に訪れるはずであった「未来」が「フラッシュバック」するというならば、なぜ彼は過去をすべて消し去ろうとせずに自分だけを消そうとしたのか。この過去の自分を消し去ることで、「醜い僕」が存在しない理想的で純粋な未来を掬い取ろうとした。つまり、「フラッシュバック」したものは醜い日々に思い描いた希望なのではないか。一方、「3年前」に起きた出来事を漸く打開しようと戦い続ける姿があの日に思い描いた未来であり、それを今この場で成し遂げようとする超然たる意志を持った彼の、同じ境遇の人々に向けたダイレクトメッセージなのではないか。この呪縛を「解き放つ瞬間」に「刺」される。解き放つことは無償ではない。刺されるということは、その日の記憶を心に留め生きていかなくてはならないということで、完全に消すことはできないから「フラッシュバック」する。

話が終わった時には外は明るくなっていました。これは私の勝手な憶測でしかないです。しかし、一つの曲に詰められた思いを拾い集める楽しさをおしえてくれたのもアジカンでした。皆さんはどんな歌手のどんな歌のどんな歌詞に心を揺るがされましたか?こうして真剣に探し出すと聴くときに印象がガラリと変わるものです。

初めてアジカンの演奏を生で見たのは2011の8月になんばHatchで開催された「Talking Rock! FES.2011」でした。(このライブでアジカン以外に虜にさせられたバンドがあります。それはTHE BACK HORNというバンドです。知っている方がほとんどかと思いますが、こちらはまた機会があれば書きたいと思います。)初めてのアジカンでしたが、初めてのライブでもありました。全く知らない世界に飛び込むようで、初めてのライブハウスの雰囲気は忘れもしません。他に2つのバンドもありました。しかし、そのライブではアジカンとバックホーンしか記憶にありません。アジカンの一曲目は先ほど紹介した「フラッシュバック」でした。語り明かしたのはもう少し後の話です。このライブで私は自分自身にこれほどまでに未知なるエネルギーが眠っていたのかと震撼することになるのですが、実際にライブに行ったことのある人ならば経験したことがあるのではないでしょうか。とてつもない人口密度の箱で踊り狂う。傍から見れば狂気の沙汰ですが、あの場所では許されます。痴漢以外は。身体をぶつかり合わせ、迸る汗水を辺りに振り撒き、ある人は密集した人々の頭上を転がりまわる。全くの非現実です。そんな雰囲気に私は飲まれまいとステージに向かって手を伸ばし自我を開放したのでした。そのひとときは、この場所でしか存在し得ない幸福でした。

前置きが長くなりましたが、今回のライブはいろいろな記憶を思い出しながら聴こうと考えていました。しかし、整理番号が100番台と何とも歯痒い気持ちになってしまい、さらに初めてのライブ以来のライブハウスだったので入場すると一目散に最前列に猛突してしまったのです。自制心を欠いてしまい、みるみる埋まる会場を見るとやはり中盤の柵あたりに留まっておくべきだった、と始まってもいないのに後悔をし始めていました。音響チェックが続き、会場がざわつき始める。BGMが止まる。照明が落ちる。密度が濃くなる。スモークが満ちる。彼らがステージに現れる。

私はこの瞬間にもう何もしたくなくなってしまいました。ステージに手を伸ばすこと、ぶつかり合い、歌う、一切合財。ただ、黙って彼らの姿を見ていたいと。一曲目は「ソラニン」でしたが、なぜか既に知っていたかのようにすんなりと受け入れられました。周囲からは歓声が上がり、手拍子が徐々に高まり、会場の空気は彼らのものになりました。しかし、私は直立不動で動くことはありませんでした。ただその場にとどまり、彼らの奏でる音楽と後藤正文という一人の人間のエネルギーを自身に共鳴させるように。選曲は最近の曲が多めになっていました。アジカンを聴く人に「初期」のものしか聴かないという人がいると聞いたことがありますが、私にはまったく理解できません。荒々しいロックチューンが好みの人でしょうか。荒々しさも繊細さもメッセージ性も何もかも凝縮されて来ている今を聴かないで何を聴くのか、とライブで演奏された新曲を聴きながら考えていました。すべてが彼らなんだと。この良い空間の中、微動だにしない私をみて彼らは何を思ったでしょうか。まるで「マジックディスク」のPVの日向千歩さんのように私一人きりで対峙して、全てを目撃しました。それはうまく説明できないし、するべきでないと思います。最後の曲「タイトロープ」を聴いている時、ふと隣を見ると私の脇ぐらいの高さの女性が客に埋もれながら、涙でマスカラを滲ませていました。そういうことだと思います。

長々と語ってきました。私にとってASIAN KUNG-FU GENERATIONは途轍もなく大きな存在であります。これだけ書き連ねておきながら決定的な言葉が何一つないです。私が言いたかった事は、あなたにも自分にとって大切な存在がありますか、ということです。私は彼らに救われた気がしてなりません。私にとって「過去」とは友人にアジカンの存在を再確認させてもらった日であり、「あの日の未来」はその日以来に望んだ希望なのです。まさしくたった今その未来の変遷を「フラッシュバック」していたのです。

2015/3/20

#日記 #ライブ  

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?