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人生に迷っていた大学4年の時に『嫌われる勇気』を読んで人生が変わった話 第1話

さて、現実から逃避するために選んだ手段が、奇跡的に読書であり、運良く辿り着けた本。

『嫌われる勇気』

悩み多き青年が、ある哲学者のもとを訪れ、哲人はアドラーの教えを青年と対話をしながら伝えていく。それが第1夜から第5夜まで続く、全5章の構成です。

第1夜で僕は救われました。

どんな状況からどのように救われたのかお話しするために、僕がどんな大学生活を送っていたかという話を少しします。

第0話でも書きましたが、当時僕は(おそらく教員として)自ら稼いで食っていかなければならない現実から目を逸らしていました。

なぜそんなに現実から目を逸らしていたかと言うと、教員としてやっていける自信が無かったからです。

また、なぜそんなに自信がなかったかと言うと、自信になるようなことを大学でほとんどやってこなかったからですね。

じゃあそれは、大学のカリキュラムが悪いのか?

いいえ、関係ありません。毎日の講義や課題、そして教育実習など、前向きに取り組めば、知識も経験もたくさん得るチャンスはもちろんありました。充実したカリキュラムだと思います(まあ全ての講義が素晴らしいとは言えませんが)。

それらのほとんどに真剣に取り組んでこなかったのだから、自信なんて付くはずもありません。

しかし、この本の第1夜で出会った考え方。

「原因論ではなく目的論に立つ。」

これが衝撃的でした。どういうことか。

まず、アドラーはトラウマを否定します。例えば、「過去に虐待を受けていたから、社会に適合できず、引き籠もっている。」という状況を次のように否定します。

それはその人の中に、そう考えたい目的があるからだと。「外に出たくない」という直近の目的があり、そのために、不安や恐れを生み出していると。不安や恐れを生み出すためのモノとして、「虐待を受けた」という経験に意味づけをしていると。(難しいですね。本の中でも、青年が理解に苦しんでいます。その青年に応えるように書かれていますので、ぜひ読んでほしいところです。)

ここで僕は思いました。

「実際に教壇に立って失敗したくなく、だから働きたくない。「働きたくない」という目的のために、不真面目だった(部活動の中だけでは真面目だったが)学生生活を利用し、不安という感情を生み出しているんだ。」と。

不真面目だった過去が今を作る原因なのではなく、目的のために過去の経験を利用しているだけであり、

過去に縛られる必要はない

のです。

ここから僕は、「これからどうするか」という考え方で少しずつ行動を起こしていけるようになりました。

この第1夜はそんな「勇気」を与えてくれました。

しかし、この本が僕に与えたモノはこれだけではありません。この先の章(夜)で、さらなる「勇気」を得て、それが僕の行動、選択に繋がっていきます。

つづく。


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