綺麗な死体

散歩の途中、ウシガエルの死体を発見。
田舎ではよくある事だ。
何度も見た光景なので華麗にスルー。
だか、どこかおかしい。
なぜかモヤモヤする。
彼の死体は綺麗だった。
まるでまだ生きてるかのように。
もしそうなら俺は彼を見捨てる事になる。
俺は引き返す。
どうすれば彼を救えるだろうか?
彼は舌を出して死んでいる。
水が欲しいのか。
うちに帰って水を汲んでくるのでは
間に合わないかもしれない。
用水路の水を汲み、3回ぶっかける。
しばらく眺めていた。反応はない。
時期尚早だが、覚悟を決めるときだ。
ポイ捨てされた100円ライターで
彼のお腹をつっつく。
見ないようにしてた彼の目と目が合う。
こりゃ死んどるわ。
わかってた事だが、ちょっとショック。
しばらく俯きながら帰った。
だがどうだろう?
やることはやったし俺は満足だ。

俺は自分が死んだら、
骨はそこら辺に捨てて欲しいと言っている。
死んだ後の自分なんてどうでもいいからだ。
だが、ウシガエルくんのお陰で
大切なことに気付いた。
仏を供養するという行為は、
死者の為じゃなく、生者の為のものなのだ。
そう思うと、なんだか明るくなってきた。

ありがとうウシガエルくん
ほんとに生き返ってたりしてね。
かえるがいきかえる。なんつって。

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