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向田邦子×久世光彦=「麗子の足」

「この岸田劉生が描く麗子の像はもちろん複製ですが、これは父の一番好きな絵なのです」

麗子像の好きな紀田家の父(佐藤慶)は肺病でサナトリウムに入院してもう長い。残されたのは、母(加藤治子)、長女礼子(田中裕子)、次女貞子(今井美樹)、三女節子(速水昌未)の女ばかりの四人一家で、父の不在はこのシリーズの定番の家族形態となる。

舞台は昭和10年10月の東京、阿佐ヶ谷。母は医者一族の出であったらしく、一家に出入りする従兄弟の總一郎(永島敏行)は軍医中尉、「麻布のお爺ちゃま」祖父の喬平(森繁久彌)も引退した医者である。程なく年明け昭和11年の正月に、二人の名前が並んで壁に掛蹴られている。

「日高喬平之墓」「日高總一郎之墓」

祖父は書初めに己の墓碑銘を毎年書いているようだ。緋毛氈の上の半紙に達筆で、息を留めて書き上げる。今年は年始参りに来た總一郎のと合わせて2枚になった。「縁起が悪い」と嫌がる26歳の礼子に、御年77歳になった祖父はこう諭す。

「お前今年はどうやって生きていこうか考えるだろ。おじいちゃんは今年はどうやって死のうかと考える。自分の墓文字を書きながら考える」

傍で女中が去年の分を焼いている。總一郎もまた同調し「死を自分の側に置いて初めて本当に生きたいと思う」と懇願し、29の歳でこれを頼んだ。「早すぎる」「私には早くても爺様には早くないでしょう」。これは詭弁だったようで、翌月すぐの日本を揺るがす大騒動に、彼は志願していたのが分かる。

總一郎は「死」を背景に「生」を浮き立たせ、内部の熱を出し尽くそうとする人物だった。礼子の母も或る意味同じで、父の見舞いのサナトリウムで、他の見舞客との相引きに心踊らせ、すき焼き肉を買って帰る様な質だった。父はそんな母が来ると黙って熱が上がり、父を慕う礼子は「ああ言う人」と母を嫌悪していた。

本当は礼子だけが違っていた。貞子が歌うメンデルスゾーン「駆け落ちの歌」を咎め「いやらしい」と毛嫌いすると、奔放な妹は「素敵じゃない」と姉の自意識を笑い飛ばしてこう言った。「私たちは嫌らしい人の子供よ。その嫌らしい血は礼子姉さんにも流れてるんだから」。両親は駆け落ち結婚だったのだ。

礼子はクレゾール消毒を欠かさない腺病質の潔癖症で、身を守ることを信条として生きてきた。それも昭和11年2月26日を境に変わってしまう。しかし足袋を脱ぎ、足を見せるのは些か遅すぎた。「あげます」と言うのも遅すぎた。身を捧げるべき人はもういない。またその人が守ろうとした「下駄の鼻緒を挟むので指の間が離れてしまった同じ形の足の人」が住む国も、まさに滅びようとしていた。




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