CANDY
真っ暗だ。
何も見えない。
気が遠くなりそうな程の閉塞感。
「ママ、おなかすいた」
「そうね、おなか、すいたね」
真っ暗だ。
何も、見えない。
腕の中に抱え込んだ温もりと、その僅かな息遣いだけが、ギリギリのところで自分の生を実感させてくれている。
「もう、ここ、いやだよ」
「ごめんね、もうちょっと、がまん、してね」
「もうちょっとって、いつ」
「もうちょっと、もうちょっとだから」
まだ幼い息子は、ひどい空腹のためだろう、それ以降また言葉を発さなくなった。
昨夜はずっと、うるさくて仕方がないほど、アニメの主題歌を歌い続けていたというのに。
いや、あれはもう昨夜ではない。
どれほどの時間が経ったのだろう。
あの夜、あいつはひどく酔っていたし、これだけ長く助けが来ないということは、私たちをどこに閉じ込めてしまったか、いや閉じ込めたという事実さえも、忘れてしまっているのかもしれない。
ゾッとした。
このまま、誰にも気付いてもらえなかったら?
このままこの狭い暗闇の中で、息耐えていくしかないとしたら?
腕の中の温もりは、記憶の中のそれに比べると、随分と僅かなものになっていた。
時折り伝わってくる小さな振動で、かろうじて、まだ生きていることを確認できる。
「もう少しで、出られるからね」
「も、すこし?」
「そう、もう少し」
「ハンバーグ、たべれる?」
「もちろん」
「カレーライスも?」
「オムライスだって、ステーキだっていいのよ」
へへ、やったあ、と笑い、息子は再び静かになった。
本当にここを出られるだろうか。
人間は水だけで一月生きられると聞いたことがあるけれど、ここには水だってありはしない。
消えてしまうのだろうか。
私も。
この腕の中の小さな命も。
息子は、何が起こったのかさえわからないままで、大人しく私に抱かれている。
最初の方こそ泣き喚いて手が付けられなかったが、今ではそれも懐かしく愛おしい。
私自身が、この温もりをとっくに諦めてしまっている。
それが、何よりも残酷な現実として、私には惨たらしく感じられるのだ。
空腹で気が遠くなってきた。
腕の中にも、もはや体温を感じない。
この子はきっと、私よりも先に死ぬだろう。
「ママ」
「なあに?」
「おうた」
「おうた?」
歌を歌ってほしい、という意味だと私は理解したが、
とてもそんな気になれなかった私は、余すところなく卑怯なことに、わからなかったふりをした。
「お歌がどうかしたの?」
返事はなかった。
腕をくすぐっていた、ハムスターの気配のような吐息も、いつしか消えていた。
温さは冷たさへと変わり、掌から伝わる体躯のぎこちなさだけが、恐ろしく現実味を含んでいた。
息子の最期の希みさえも、私は叶えてやらなかった。
私は、何も感じなかった。
それどころか、
私は、
狂気にも似た喜びに打ち震えていたのだ。
私は冷静に息子の脈を確認した後、大きな人形をどかすようにして膝から下ろし、自分のポケットから小さな包み紙を探り当てる。
ここまで待ったこと自体が、私に唯一残されていた良心のように思う。
きっとそれも、自分の中で折り合いをつけるための、我が身可愛さでしかないんだろうけれど。
思うように動かない指先を震わせながら、包み紙をひらくと、魅惑的な琥珀色が、甘く仄かに香る。
すぐさま口へと放り込み、舌の真ん中辺りで転がしながら、私は念入りにその旨みを確かめた。
最後のかけらが溶けた後、どんな感情に襲われるかなどは夢にも思わず、
狂おしいほど求めていた食糧を口にして、
私は泣いていた。
涙が一粒、頬を伝い、口の中へと染み入った。
「……水」
数日ぶりに味わう、思いがけない水分の甘やかさに私は驚き、
純粋に、
「もっと欲しい」と、
そう思った。
なんと嬉しいことに、涙は再び頬を伝った。