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【リマスター】地下を走らない京津線を往く(2009年9月)

過去に書いたブログ記事を少々のブラッシュアップを加えて再掲載する試みです。今回は2009年9月アメブロで公開した「地下を走らない京津線を気にする」という記事です。


旧京津線を体で感じろ!!

僕は今京都に住んでいます。

京都に引越してきて8年ほど経ち、その間の街の変化には気づくのですが、それ以前に変化し終えたものとなるとイメージがつきにくいです。8年も住めば「俺の街、京都」と呼んでも良いのでしょうけど、その歴史を知らないとなると「俺の街」という言葉が嘘になるような気がして、気持ちが悪いです。そんなわけで、過去の出来事や遺構が妙に気になるのです。今回はそんなお話。

京都には京阪京津線という電車が走っています。京都市山科区の御陵駅から、大津市の浜大津駅に至る路線です。現在は御陵駅から京都市営地下鉄東西線の終点、太秦天神駅にも乗り入れており、地下鉄区間や、路面区間などバラエティに富んだ路線を走り抜けるユニークな電車です。
※オフィシャルサイト https://www.keihan.co.jp/traffic/ (2009年当時案内していたサイトは現在アクセスできません)

しかしそれはつい最近の話。10年ちょっと前は地下鉄が開通しておらず、京都側も路面電車の区間や急坂を越える区間があったそうなのです。京都生活がまだまだ短い僕にはついていけない話です。そこで、歴史に沿って体験してみることにしました。今回は京津線旧区間を自転車で走ります。

スタート地点は旧三条駅(現在は駅ビルのKYOUEN)。この自転車で行きます。
※2024年現在は旧京津三条駅は平面駐車場です

路面区間の急坂を頑張って登った京津線を感じるために、ルールを設定しました。
・旧駅から旧駅に向かって自転車で走る
・次の旧駅に着くまで自転車を降りない
・「降りない」とは「サドルからお尻を離さない」ということであり、信号待ちや写真を撮る時は、サドルに掛けていさえすればノーカウント
・いかなる理由でも降りたら前の旧駅からやり直し。戻ってもう一度次の旧駅を目指す。当然降りてはいけない
・旧駅のあった場所に着いたら記念撮影する

早速最初の旧駅「京津三条駅」で証拠写真

自転車は一般的なママチャリで変速機が着いていません。路線区間を走っていた京津線を感じるには、競技用の走りやすいものでは理解が薄くなるような気がした為です。また、電車はモーターで走っており、変速機構はついていないので、そこも合わせています。

スタート。名残り惜しくも三条を起つ。行ってきます

実施日は2009年9月8日。風は涼しいが日差しはまだ暑い。首筋と腕はじりじりと灼けていきます。日焼けが痛くなったらやだなぁ。早速臆病風に吹かれてしまい、気持ちがノリません。でも、京津線を感じる旅。僕が本当の京都市民になるためのイニシエーション。ここで逃げてはいけない。頑張れ僕!

出発して5分。三条と花見小路との交差点で早速信号待ちです。この状況をメモするものの、メモ帳が白くてまぶしい。眼がつぶれそうです。書く部分が黒いメモ帳があれば売れると思いました。

緩やかで走りやすい道

旧東山三条駅に到着。1駅達成です。この辺りは高校や短大があり、今でも地下鉄で通学客が多いのですが、昔も今と同様に混雑したことでしょう。特に昔はこの道を狭くして線路とホームを設けていた訳ですから、その混雑はより激しいものだった事が想像できます。
ただ、よく考えてみれば、僕自身は学生時代ずっと自転車通学で、通勤電車の混雑を体験していませんでした。だから今どんなに頑張っても、当時の京津線を利用していた人々の気持ちを理解できないのです。今のところ、完全な京都市民になるのは難しいようですね……

現在の地下駅、東山駅。このあたりは坂が緩いから問題無し!

順調に進みますが、次第に坂がきつくなります。ウェスティン都ホテル京都あたりになると立ちこぎが出来ないのが辛い。このように、坂が急になってくる。僕の表情も次第に曇り始めている……

一応到着

何とか旧蹴上駅まで到着。この時点で出発から30分。案外早く京都市民になれるかと思ったのですが……

順調に見えた旧京津線征服の道に思わぬ落とし穴が

すごい坂

蹴上交差点(旧蹴上駅)を越えたあたりで、坂がきつくなってきたました。坂がきつくなったと言っても、しっかり舗装された道。蹴上周辺にも中学高校があり、学生が日常自転車を駆って走り抜ける道ですから、自転車から降りる事は無い。と、思っていたのですが……

この段差のせいで自転車から降りてしまった

自動車を歩道から車道に降ろすためのスロープ(歩道の縁石が途切れている部分)につまづいてしまい、バランスを崩してしまったのです。そのままとっさの行動でサドルからお尻が離れてしまい、残念な結果に至りました。日頃の運動不足が祟って、ふんばりがきかなかったのが原因です。京都市民として運動は重要です。これからは京都御所をランニングしたいと思います。降りてしまったついでに、電車を動かしていた発電所を見る事にしました。動力源を見れば電車の気持ちも少しは理解できるかなと思ったからです。

ぶっとい導水管に電力のパワーを感じる

この発電所は京津線が出来るだいぶ前、1891年に開設されたものです。琵琶湖疏水の水力で動かしています。琵琶湖疏水も京都市民以外には馴染みの薄い京都の風景ですね。
気を取り直して旧蹴上駅からスタートします。
今度は作戦をたてます。つまり自転車の勢いが弱かったので登りきれなかったともいえるので、旧駅(交差点)の手前まで立ちこぎで全速力の勢いをつけ、その勢いで一気に登ってしまおう、というものです。

交差点のだいぶ手前から立ちこぎで勢いをつけて先の駅まで行ってしまう作戦

勢いをつければ簡単に登れてしまうと思ったのですが、楽だったのは駅から50メートルくらいまででした。そこから先は勢いが坂道で完全に切れてしまい、座りこぎしていたのと同じくらいの労力だったのです(疲れが蓄積されたせいでもっとしんどい)。

残念な事に、また自転車から降りてしまいました。今度は、現蹴上駅(地下鉄駅)で乗降客が多く、自転車に乗ったままでは通行人の皆さんの邪魔になってしまうために、降りざるを得なかったのです。自分の体力だけではなく、その場の状況で降りざるを得ないとは、盲点でした。3度目に挑戦です……

当時の時間昼の12時。こんな時間に駅が混雑するとは…。何とか気を取り直して3度目

時間を食われてしまいましたが、落ち着いて着実に歩を進め、何とか蹴上付近の坂を登頂。そのまま旧九条山駅を目指します。相変わらずメモする度にまぶしさが気になります。

普段ネクラな僕。1年ぶりくらいに思いっきり笑った気がする。それほど辛い坂だった。

これだけの坂ですから、下界との標高差も出てきます。風が涼しくなってきました。いい感じです。坂を上った先には水道局の施設もあります。水道施設は市街地より標高が高い所か低い所にありますが、ここは当然前者。自転車でよくここまで来ました…。そしてついに九条山駅に到着です!

この坂の奥に見える陸橋は九条山駅があったときから存在した

九条山駅は旧京津線が廃止された時に一緒に廃止され、地下鉄駅での代替駅は作られませんでした。京都市街地と山科市街地の間の人口密度が低い場所であったため、不要となったそうなのですが、もしここに用事が出来たら蹴上駅かあるいは後述の御陵駅から坂を上っていかなければなりません。京都市の交通政策は本当に正しかったのか。少し考えさせられます。

市政批判を心のなかで叫んだりして余裕をかましていますが、この後最大の危機に見舞われます。

見当違いが命取り!最大の危機

自転車乗りの夢、下り坂!そりゃスピード注意の看板も出しますよ

九条山駅を越えたらあとは下り坂。もうこの時点で正々堂々と京都市民と言っても良い自信と希望が胸いっぱいに広がっております。

ここまで来ると楽しいことばかり頭に浮かびます。
(ここまでズルせずに来たけど、それがわかるのは自分だけだから、ズルしても良かったじゃないか)
(こんなに気持ち良いサイクリングスポットはデートに最適だな。多分自分のデートでは来ないけど)
(家に帰ったら昨日凍らせておいたチューペット食べよ♪)
でもそれがいけなかった……

日ノ岡バス停で喜ぶ僕。あと一駅(多分)!!

緩やかに長く続く坂道を下り、御陵(みささぎ)の街が見えてきたところで、信号とバス停を発見。バス停には「京阪バス 日ノ岡」。ここが旧日ノ岡駅だと思います。証拠写真をダッシュで撮り、ラストスパートです!!

さらに5分ほど下ったところに交差点がありました。信号で止まっていると、ある看板が目に入ります。

これは一体……

信号横の交差点名に「日ノ岡」とあります。家で事前に用意しておいた地図を見ると、調べていた駅の場所は日ノ岡交差点の東側。つまり、先ほどのバス停はただのバス停で、ここが本当の駅の場所だったのです。駅の場所を間違えたということです。
下り坂で余裕かましていた僕は、今まで行っていた地図を読む作業をさぼり、適当に写真を撮っていたのです。

昔元気だった頃の私と、やりなおしを強いられている私。

振り返ってみましょう。僕が余裕しゃくしゃくだったのがどういう理由によるものか。そう、下り坂だったからですよね。やりなおしになるということは、その下り坂を戻るということになるのですが、この状況、わかりますよね。その道を登るんです。

伝わりづらいがすごい坂。京都の昔がどうとかどうでも良くなってきた。

10分以内で着いた日ノ岡駅ですが、20分以上掛けて九条山駅に戻ります。戻る際もサドルからお尻を離さずに一生懸命こぎました。今思えば、戻るだけなのだから立ちこぎでもルール違反にはならないので、座りこぎは無駄な労力でした。汗をかいてズボンの摩擦係数が大きくなったため、お尻がこすれて凄く痛いです。坂の頂上から再スタート。今度は慎重にいきます(一度ポイントには着いているので、バカでも着くのだが)。

今度は自信を持ってガッツポーズ

無事日ノ岡駅に到着しました。グランドフィナーレも間近です。

ゴールに待ち受けていたものは

以前、御陵(みささぎ)駅の近くに僕の友達が住んでおり、地下鉄でその友達の家に遊びにいったものでした。

既に廃業していた店

その時にこの店(たしかコンビニか酒屋。印象薄いが)に寄って差し入れを買ったのでした。今はその店がつぶれて存在しない。このように、短い間でも京都の街は変わりつつあります。こういった変化に目を向け、これからを見続けるのが僕に出来る事なのではないかと思いました。昔の遺構を追い求めていく事に意味はあるのか?本当にこのままゴールして何を得られるのか?お尻は相変わらず痛いし、やめてしまおうか。一瞬そう思いました。

既に道は平坦

しかし、一度やると決めたものをそのまま放り出してしまっても未来は無い。これからの新しい京都を創造するためには過去の京都を体感しなければダメだ!あと一踏ん張り!旧御陵駅まで行け。行くのだ!

御陵交差点の右手には、京津線地上時代の路線跡が公園になった「陵の岡 みどりの径」があります。この道の中ほどがゴールです!

「陵ヶ丘みどりの径」が旧京津線跡
ここがゴール地点!

くだらない失敗はたくさんしましたが、何とか自転車を降りずにゴールする事が出来ました。
実はこのルート、僕にとっては仕事でよく通る日常的な道なのです。いつもは車で通るのですが、自転車で通ると路面電車に日常的に乗っていた京都市民の気持ちが伝わってきます。山科区から三条方面に出るには地下鉄が一番。それについては自信をもって主張出来ます。山科区民とは、この点のみだとしても共感できる部分が新たに発見できました。それだけでも大きな収穫だったように思います。

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