休み明けの焦燥感

あぁ、幸せだった冬休みが終わってしまう...。

休みの最後の日それも夕方から夜にかけてだんだんソワソワし始める。それまでは一日中ぐうたらソファで寝そべっていても、昼過ぎまで起きずに朝昼兼用ご飯で済ませても「ま、いっか」で全て水に流すことができるのに。

何故だか最後の日にはそうはいかない。そうさせてくれない。どうにかして今日この一日を優雅に贅沢に過ごしてやろうかという気持ちに囚われてしまう。

とりあえず、朝ごはんを食べながら頭の中でto doリストを頭の中で急速に組み立てていく。ご飯は昨日の残りの七草粥だった。朝ごはんに七草粥...健康になるに違いないと確信した。

to doリストに話を戻す。
昼ごはんを済ませた後にどこかカフェにでも行って読書をしようか。今公開中のチャーリーとチョコレート工場の始まりの映画を見に行こうか。少し遠出のドライブに出掛けようか。カラオケにも行きたいな。カレーが食べたい、それもパクチーの入ってるスパイスカレーを。脳内to doリストは留まることを知らない。制御なんて出来たもんじゃない。

しかし、結局全て却下し、現実的に考えて締切が近づいている卒論を進めることにした。泣く泣くの決断だった。憂鬱だ。

自分は化学系の学部に通っているので、卒論はいわゆる論文と似た形式のものになる。まず、論文の要旨から取り掛かった。要旨は緒言、実験、結果と考察からなる。緒言とはその研究の背景、目的を簡潔にまとめたあらすじのようなものである。

今日は緒言を仕上げようと思い立った。冬休みの間ずっと逃げてきたのでさすがにそれくらい仕上げないと進度として遅すぎるから泣く泣くであるけれども。

しかし、この緒言はなかなかくせ者である。緒言はあらすじのようなものなので、自分の研究テーマを知らない人にも全体像が理解して貰えるような内容でなければならない。そのため、抽象的すぎたり、話が飛躍していると伝わりずらい。簡単に簡潔に述べないといけない。

その上ある程度の文字数制限がある。これが一番の壁である。丁寧にわかりやすく説明しすぎるとどうしても分量が多くなってしまう。かと言って、削りすぎると大事な部分を誤って削ぎ落としてしまう恐れがある。

大抵自分の話をするとき、自分の言いたいことを夢中になって自己中に詰め込んでしまう。それだと、独りよがりな内容になってしまい第三者には届かない。現時点でのこのnoteもかなり独りよがりになっているなと感じる。文章を書くって難しい。

このnoteは思ったことを書きなぐるだけで他者に届きやすいような工夫を全く出来ていないので説得力に欠けるが、緒言はかなり工夫して何とか書き終えることが出来た。しかし、その工夫もまた自分の中では伝わりやすいと考える自己中的な思考によって完成されたものであるような気がしてしまう。あぁ、人が受け取りやすい文章って難しい。

緒言と死闘を繰り広げていたらいつの間にか夜になってしまっていた。これは優雅な1日と言えるのか?と疑問を抱いてしまうことがまず悔しかったので、晩御飯のキーマカレーをいつもの1.5倍美味しいと感じようという心持ちで食べた。そんなことをしなくても十分すぎるほど美味しかった。お母さま毎日ありがとう。

そんなこんなで1日が終わってしまった。記載しなかった(記載できる程の文才としての能力が皆無だった。)が実際はスキマ時間に最近ハマっているランジャタイのYouTubeを見たり、モンスターズ3をしていたので1日をそこそこ充実させることに成功したのではないかと思う。

しかし、本当は一日中ゴロゴロしていたい。なんなら朝に寝て夕方に起きるくらい余裕を持って昼夜逆転生活を送っていたいなと感じるくらいに性根がだらしないので、長期休み終盤の焦燥感とは永遠におさらばしたいなと思っている。

学校が始まるのかぁ、憂鬱だ!
起きれる気がしない!嫌だ!
幸せだった冬休みを返してくれ!...「なんて思ってる暇があるなら一刻も早く寝て明日の活動に必要なエネルギーを蓄えな」と考える自分もいるみたいなので仕方なく大人しく寝てやることにする。あぁ、もっと休みたい。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?