一周回ってわけわかんない境地に来ちゃったんだ

ときどき「べつに死にたいわけでもないけど死んだ方が楽だろうな〜」と思う時がある。とてもやばいのかもしれないしそうでもない可能性もある。
私は全くうつ病に好かれてしまってほんとに困っちゃうくらいモテモテなのである。うつ病がとびはねて喜ぶレベルの不幸がバンバン襲ってきて心身ボロボロになる方向にしか向かっていない人生だったので然るべき流れで空虚な人間として育ち、そのスポンジみたいにスカスカな躯に全く自然な形でうつ病が住み着き、全く自然の摂理にキチンとしたがって現在の無気力症候群の権化みたいな私が存在するのである。クソッ。
何者かになれるチャンスは生きている限りある。しかし何者かになるだけの体力気力能力はスポンジみたいにスカスカな私には毛ほども無い。
最近、なぜだか良くわからんけど気がついたら音大に入ってた。音大って名前自体ダサいよね。なんでこんなところ入ったのか自分でもわけわかんないもん。しかし入学当初の私は愚かにも音大に入ったのならばこのようなスカスカ人間でも何者かになれるのではないのかそれでは頑張らねばならないのではないかそうではないかと空っぽの頭で阿呆みたいに具体性の欠片もない希望をひたすら握り続けていた。頑張らねばならないのではないかそうではないかを馬鹿みたいに頭の中で繰り返し、そのスポンジ心身では到底こなしきれない数々の試練を己に課し、頑張らねばならないのではないかそうではないかを病的なまでに心の中で復唱して頑張っていたのである。
しかしコンクール優勝者の経歴を見よ。スポンジ頭の私が頑張り始める100年くらい前からめちゃくちゃ賞を取りまくっているではないか。阿呆な私が頑張りを始めた歳より前に優勝しちゃってる人もいるじゃん。なにこれ。ほんとわけわかんない世界来ちゃったんだけど。ほんとなにこれ。無理。
頭の中が本当に素敵すぎるくらいにスカスカなので、希望を簡単に握った私は絶望も簡単に手に取ってしまった。阿呆なので。そして阿呆なりに考えれば考えるほど、希望より絶望のほうが色濃く私の目の前に充満している事が疑いの余地1ミリも無く事実としてそこにある事を認識した。そして阿呆はパニックになった。
阿呆なので希望を捨てることがどうしても嫌だったのである。しかし絶望99パーセントの地獄にいることを認識した今、阿呆故のわがままが大爆発した。プロになりたいよォとオイオイ泣いて、ただでさえ壊れかけの、大学に通って日々をこなす事で精一杯の心身をさらにめちゃくちゃにした。べつに難しい話ではない、何も考えずに大学に通いさえすれば単位はきちんと取れ、何も考えずに練習さえしとけば今よりマシな演奏ができるようになる、以上である。しかし阿呆は目の前の単位よりも自分の心身の状態が極端なカーブを描いて落ち込んでいる可能性のほうを信じ、恐れた。そして実家に帰った。あっけなく実家に帰った。単位は絶望的である。
実家に帰ったあと、心底嫌いであったはずの親と相談し、結局は阿呆故に単位を欲張っているのが良くないという結論へ至った。しかし私は阿呆故に不安の種を見つけてはまともに面食らってパニックになることを生業としているので、卒業できるかが不安になった。故に時間割と履修ガイドとにらめっこして4年間の単位取得の計画をシミュレーションした。意外と大丈夫っぽかったので阿呆は心底安心した。教職も副科ピアノも既に諦めた。残るは己の楽器の技術のみ。しかし特に期待はせず、大学卒業のことだけ考えておこうと思った。もし今から転向して他の分野の大学に進んだとてそれで安心な未来が確約されているわけでもなし、音大も然り、頑張らずに続けることで何かを得られたら万々歳ということにしておこう。
しかし先生も親も、私を何故殺してくれないんだろう、なんでこんな博打みたいな分野に放り込んだんだろうと思うことが何度もある。何者にもなれないだろう、望みの無い私は、死んだ方が楽だろうなと思うことがある。それは今の専攻の話でも、実際の生身の人間としての生死の話でもある。自分で死ぬのはそんな勇気もないのでしないし、まぁ死んだ後どうなるか知らんけど、死んだ私の代わりに絶望している親の様子を、死後眺めるような事になったとしたら、たとえ眺められなくても悲惨の極みであってとても耐えられないが、誰かが私を殺してくれたら、親は恨みを殺人鬼に向ける。恨みだってエネルギーだ。私も無責任に死ねるのではないか。そんな事をふと考えてしまう。もしこんな考えの無責任さを誰かに責められても、責任とかそんなこと考えるのもう疲れちゃったんですよ私。もうそんな気力も残ってないの。スカスカ人間だから。
まぁでも殺してくれって誰かに頼む勇気もないし、たぶん殺されそうになったら怖くて逃げちゃうだろうし、スカスカ人間は死ねないの。もうほんとにどうしようもないよね。けれどコンクールは確実に死刑宣告をしてくれる。おまえは箸にも棒にもひっかからないどうしようもない人間だってきっと言ってくれる。親も先生も私のことを見捨ててくれないけれど、きっとコンクールは私のことを切り捨ててくれるよね。希望を簡単に捨てることができれば、私だってここまで苦しまなくて良いんだろうけど、生きることって希望を持たなきゃいけないってことで、それが苦しいから、私は生きているということになるんだろうね。コンクールに早く出てさっさと死刑宣告されたい。でも刑を執行してくれる人は誰もいないから、その後は派遣でダラダラ生活するのかな。よく分からない。

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