自分を捨て、日々十字架を負い、そしてイエス様について来なさいというのは良き知らせなのではないのかと思った話


だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。ルカ福音書9:23


このみ言葉を聞くたびに、緊張で心臓の奥がきゅっとなっていた。自分を捨てるというのは、痛みがあるから。

すごく嫌な言い方をすると、このような厳しいみ言葉は福音の副作用のようなものだと感じていた。
「悔い改めてイエス様を救い主として受け入れるならば、救われて永遠の命が与えられます。」というのが福音の効能だとすると「あ、でもイエス様に従って歩むとき自分を捨てるという痛みがあります」というのが副作用。

Kちゃんが亡くなった。
カンボジアに来て初めて「外国からたくさん来る若い先生のうちのだれか」としてではなく、「M先生と」という関係を築くことができたのが、中学生の女の子kちゃんだった。

わたしの授業が終わるのを教室前で待ち構えていて、どこへ行くにもついて来た。
とても真面目で礼儀正しく、小学生の子どもたちがわたしを彼らの友達のように扱うことに対して、誰よりも(というか学校で唯一)腹を立てていた。「先生は先生なんだから子どもに丁寧に挨拶しなくていい」「子どもたちがあんな風に先生に話しかけてとても失礼だ。怖い副校長先生に言いつけてやりたい。」とか言っていた。

まあ新米外国人教師だから尊敬を払われなくて当然かと呑気に構える私に一生懸命色々と教えてくれるkちゃんが面白くて愛しかった。

刺繍や折り紙が上手で、パターンに沿って繰り返し続けることがとても得意だった。

Kちゃんの同級生の女の子たちは韓国アイドルや化粧に心をときめかせる一方で、kちゃんはいつも小学生校舎にいて自分の半分ほどの身長の子どもたちと、ドッチボールや鬼ごっこを本気で楽しんでいた。

毎日のようにラブレターを書いてくれた。「先生は優しくて、かわいくて、フレンドリーで…」とありとあらゆる誉め言葉を並べた最後にはいつも「先生はわたしのこと好きですか?」という質問が書かれていた。彼女のノートには、同じ学校にはいない昔は友だちだった子3人ほどの名前が繰り返し何ページにもわたって書かれていた。

もしも彼女が日本の学校に通っていたら、恐らく特別支援教育の対象だったんじゃないかと思う。人間関係を築くことがとても苦手。授業態度だけで奨学金がもらえそうなほ真面目なのに勉強にはほとんどついていけていないようだった。
出会って数か月してkちゃんの姿が学校で見えなくなった。お母さんが病気で亡くなったからだと他の生徒が教えてくれた。数週間後に再会したkちゃんはものすごく不安定になっていた。「お父さんは今三人目の奥さんと暮らしているから、私はおばあさんのところにいるの」そう話してくれた。生徒は立ち入禁止の教師居住スペースに入り込み、私の部屋で気を失ったこともあった。

わたし自身もその頃は初めての海外生活で燃え尽き症候群を発症していて、余裕がなかった。自分が理想とする自分のあり方ではいられなかった。優しくすることができなかった。喧嘩っぽくなったり、kちゃんと時間を過ごしたあとに疲れ果てて涙がでてくることが増えた。お互いに煮詰まっていた。「新学期また会おうね」と言って夏休みに入った。

夏休みが明けて、授業が再開したのだけれど、またkちゃんの姿が見えなかった。心配していると、kちゃんの妹が来て身振り手振りで「お姉ちゃんが誰も誕生日を祝ってくれないことに腹を立てて高いところから飛び降りた。大けがをした。」と教えてくれた。

驚いて放課後kちゃんの妹と一緒に顔を見に行った。下半身麻痺になり、横たわっているkちゃんがいた。「お兄ちゃんが自分の車を売って、治療費を払ってくれた。心配しないで、歩けなくても元気になったらまた学校に行ってM先生に日本語を習って通訳者になればいいってお兄ちゃんは言っている」と話してくれた。すごく大変な中で妹の将来に希望を持とうとしているお兄ちゃんの優しさに涙が止まらなかった。

次の週、誕生日ケーキを買って行って、小さなお祝いをした。それからも時々授業の合間を縫って、kちゃんの家にいっておしゃべりをしたり、簡単な日本語を一緒に勉強したりした。

カンボジアに住んでいると現地の人から「日本にはお金がたくさんある」と言われることがよくある。恐らくkちゃんの親戚もわたしはお金持ちだと思ったのだろう。治療費を払ってほしいと言われることが増えた。6歳のKちゃんの姪っ子もわたしを見ると「お金ある?お金ください」と英語で言うようになった。とりあえずその日はその場で自分が持っているだけのドル札を置いて帰った。自分のカンボジア生活費をすべて彼女に渡して日本に帰ることも一瞬頭によぎった。

20年カンボジアで宣教師をしている校長先生に相談した。学校の経営自体がとても大変な中で学校を休学した生徒のフォローまで手が回らない現状であることが分かった。その日暮らしで人生を歩んでいる人が多いカンボジア社会は、子どもの教育に対しても同じ考えであることを学んだ。転校をなるだけ避けようとする長期的な計画はない中で、1年ごとに約三分の一の生徒が学校を辞めていく。そして辞めた生徒と同じくらいの新しい生徒が転校してくる。そもそも誰が辞めたのかを把握するのも簡単ではない。

校長先生は、車いすを作るミニストリーをしている人を紹介することとカンボジア人の先生を訪問させて現状を把握することを約束してくれた。それと同時に「私は今までのカンボジア人生活で数えきれないほどの人を助けた。彼らは私が助けるときは本当に喜ぶけれど、助け続けられなくなったときに、みんなが私の敵になった。だから牧恵にも約束してほしいことがある。お金を渡すことはしないでほしい。」現実と先生が負ってきた痛みを垣間見た瞬間だった。

学校でこなすべきたくさんの授業があることを言い訳に、少しずつkちゃんの家から足が遠のくようになった。
祈るなかで、わたしがkちゃんの家に行かなくなったのは自分の無力さと向き合いたくないからであることを教えらえた。自分が何もできないことよりも、神様を信じますと祈ってまた訪問を始めた。他の日本人宣教師にアドバイスを貰って、お金を渡すのではなく、食べ物を作って持っていくことにした。巻き寿司を作って持って行った。

日本語カルタをして、カンボジアの流行りの歌を聴いたりフェイスブックを一緒に見たりして時間を過ごした。Kちゃんの叔母さんも夕ご飯をいつもご馳走してくださった。

そうこうしているうちに、kちゃんが今住んでいるところから車で4時間ほどかかる場所へ引っ越すことが決まった。コロナ感染も広がって、訪問することが難しくなった。

今朝フェイスブックをあけると、kちゃんのお兄ちゃんがkちゃんが亡くなったことを投稿していた。まさかと思ってダイレクトメッセージを送ると、コロナの状況の中で薬を十分に手に入れることができず、亡くなったと返信があった。

実際にkちゃんが生きていくうえで一番必要としていた医療ケアに関してわたしは何も助けなかった。kちゃんの信仰告白も聞けなかった。日本語の能力だってほとんど上がらなかった。もっと知恵を使って時間を作れば、疲れを理由に休むことを選ばなければ、会いにいけたこともあった。でもそうしなかった。
 ただ私がkちゃんと出会って、手探りの中あたふたして、腹を立てたり、泣いたり、怖気づいて離れたり、可愛いなと思ったりしているうちにkちゃんの人生が終わった。

わたしは何て無力なんだろう。カンボジアに来てから自分の無力さを感じることばかりである。悲しみを通り越してあまりの自分の役立たずさに驚いている。


泣きながら祈った。

聖書も開かず祈るなかで不思議と何度もこのみ言葉が心に浮かんできて繰り返された。

「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。ルカ福音書9:23」


ここでいう「自分を捨て」というのは、自分の「あり方」を捨てるということでもあると前に聞いた。

どんな場所も私たちが自ら行くのではない。イエス様が先に行っておられるところに私たちもついて行くんだとある宣教師の先生が話していたことを思い出す。

自分のあり方にこだわって、それを保とうと必死になるならば、行くことのできない場所がある。自分のあり方を捨てるときにイエス様と一緒に行ける場所がある。

Kちゃんのベッドサイドは、まさに、自分のあり方のうちのいくつかを捨ててイエス様と一緒に行った場所だった。

日本人として最も自然な日本に住むというあり方を捨てた。普段食べているものにこだわることを捨て、一体どんな味がするのか全く分からない料理を一緒に食べた。何よりも、私がとてもこだわっている、目に見えて物事を良い方向に変化させて役に立っていることを確かめたいというあり方を捨てた。

私の持っているものでは、決して行くところのできない場所にイエス様と行ったのだから、私が出会ったことでkちゃんの人生が目に見えてよくなった跡がなにもなくても、それでいいのかもしれないと少し思えた。

悲しいけれど、これからも悲しいだろうけれど、だからといっていつものように何もできない罪悪感に押しつぶされて部屋にひきこもる必要がないと初めて思えた。
 

大学生の頃、というかカンボジアに来るまで、自分とはどういう人間かということをとても知りたかったし、それについて悩んでいた。自分のあり方にこだわって、それを探っていた。

だけれど、一人で自分について考えれば考えるほど、沼に落ちていくような感覚があった。

今もそうだけれど、今以上に、色々なことを穏やかに受け入れる自分というあり方にこだわっていた。物事を良く変化させて役立つ自分というあり方にもこだわっていた。

でも、それを保とうと頑張れば頑張るほど、どこへも行けなくなった。というか、続けることができなかった。

寂しい思いをしている人のところ、私には解決できない問題を抱えている人のところ、愛情に飢え渇いている人のところ、助けを必要としている人のところ、だれのそばに居続けることもできない。

自分にこだわって、理想でがんじがらめになってしまう。

イエス様はそういう私に対して「そのあり方を置いてこっちにおいで」と声をかけてくださっているんだと思う。自分から自由になって、色んなものをそこへ置いて身軽になって私とともに生きていこうとおっしゃってくださっているのだと慰められる。

自分を捨てることが悪だから痛みを感じるのではない。自分主義の世界に生きているから、自分を捨てるということが最悪の出来事のように思ってしまう。でも、私とは比べられないほど素晴らしいイエス様と一緒に、その方が「それはいらないよ」と言われるものはその場に置き去って生きていくことを選んでいきたいと思う。


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