障害を倫理学的に考える――障害者としての経験を踏まえながら、社会の原理原則を捉え直す

 私の研究は、どんなに重度の障害があっても、その人の存在が無条件に肯定される社会の原理を追求しています。つまり、どんな能力や属性を持った人であっても、その人の存在を無条件に肯定できる社会とはどのような社会なのか、ということを検証することを目指しています。それは、目の前にいる人を「ありのままの自分」として認めるということではありません。どんな人でも無条件に生きることが許される社会が正しい種類の社会であると考えること、つまり正義の理論、無条件に生きることを肯定することです。

 障害の問題を社会規範として捉え、障害があっても無条件に生きることが許される社会を考え、構築しようとする学問は、おそらく数少ないのではないでしょうか。障害のあり方を「異端・異形」や「社会的不適合」と捉え、そこから障害者を排除する社会に逆光を当てようとする研究は少なくはないでしょう。しかし、障害者が自分の人生を十全に生きることができる社会のビジョンを考える研究は、哲学・倫理学の領域では数少ないのです。生命倫理学や障害学がこのようなテーマを扱った研究はごく近年になってからであり、これらの研究はまだ始まったばかりなのです。

 私がこのような研究をしようと思ったきっかけは、個人的な経験によるところが大きいです。一つには、大学時代に障害者に出会ったことがあります。重度の身体障害者であるにもかかわらず、彼らは施設ではなく、24時間の介護体制で地域で自立して生活していました。その中には、障害者が生活できる福祉制度を作るために国と交渉したり、周囲の差別的な態度に疑問を呈したりと、社会運動に取り組んでいる人もいました。第一に、私はこのような人たちの影響を受けました。

 二つ目は、1995年の阪神・淡路大震災の影響です。壊滅的な地震の被災者である私は、その後の障害者の復活・救援活動から二つのことを学びました。一つ目は、平時の生活に困難を抱えていた障害者が、災害時にはその困難が悪化し、差別が強化されてしまうということです。二つ目は、障害があるからこそ生まれたネットワークが、周囲に住む障害者以外の人たちを助けたということです。ここでわかったことは、震災のような緊急事態は、社会に生じる困難や差別を露骨に体現していますが、平時からネットワークが存在していた地域では、それを生かすことで復活させることが可能であるということです(野崎 2015, 2019)。

 ところで、現代の英米圏における主流の倫理学では、自己意識を欠いた者は「パーソン」ではなく、倫理的配慮の対象外とされています。ピーター・シンガーを中心とする功利主義的生命倫理学は、「倫理的に考慮すべき人間とは誰か」という問いに、自己意識の有無と快楽や苦痛の感覚の有無に応じて答えを出そうとしています。そこでは、人間の価値序列は、自己意識と感覚の能力によって決定されます。

 日本は、国連の障害者権利条約に基づき、2016年4月に「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」を制定しました。しかし、偶然にも同年7月には神奈川県の入所施設で障害者の入所者19名が殺害されるという凄惨な事件が発生しています。この事件についてはさまざまな意見が出ていますが、事件を起こした死刑囚が「意思疎通ができない人間は生きている意味がない」と主張して重度の障害者を殺害したことが、多くの意見の対象となっています。このような言説は、まさに「パーソン論」と同類です。シンガー自身は、どこかの「狂人」が施設に入って人を殺しているわけではないと言っているようですが(Chainey 2016)、本当にそうなのでしょうか。確かに、殺すことを正当化することと、実際に殺すことは同じではないと言えるかもしれません。しかし、殺されることを正当化されながら生きている人にとって、そのような世界では「生きていて本当によかった」と思えるでしょうか。このように、私たちの社会に蔓延している優生思想は、問われることはほとんどありませんが、学問の世界でも、無意識のうちに健常者中心主義が問われることがほとんどないと言えるでしょうか。

 それに、2020年から世界で横行するCOVID-19の下では、人工呼吸器が不足しているため、難病患者から人工呼吸器を外して感染症患者に使用するという議論がなされていて、日本も例外ではありません(生命・医学倫理研究会 2020)。このような「命の選別」が議論の俎上に乗せられやすいということは、平時に障害や難病のある命が軽視されていることの証左です。平時の医療資源の不適切な配分こそが、緊急時の「命の選別」につながっているのです。

 人間の価値序列を正当化するということは、その序列に従って「生きるに値する」の人間から社会の一員として認識するということです。私の研究は、このような生命の条件付き肯定を放棄し、「生の無条件の肯定」を正当化する社会原理の構築を哲学的に探求することを目指します。

Naomi Chainey 2016 Is Peter Singer dog-whistling perpetrators of disability hate-crime?: Where is the line between euthanasia and eugenics?
https://www.sbs.com.au/news/the-feed/is-peter-singer-dog-whistling-perpetrators-of-disability-hate-crime
野崎泰伸 2015 「阪神・淡路大震災での障害者支援が提起するもの」,天田城介・渡辺克典 編『大震災の生存学』,青弓社,pp.84-102
野崎泰伸 2019 「私たちは阪神・淡路大震災における被災障害者支援の教訓を生かせているのか」,歴史学研究会 編『歴史を未来につなぐ――「3・11からの歴史学」の射程』,東京大学出版会,pp.209-210
生命・医療倫理研究会 2020 「COVID-19の感染爆発時における人工呼吸器の配分を判断するプロセスについての提言」
http://square.umin.ac.jp/biomedicalethics/activities/ventilator_allocation.html

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