「「よそ者」としての障害者」という希望

 早尾貴紀さんの『希望のディアスポラ――移民・難民をめぐる政治史』(春秋社)を読んだ。私は、哲学や倫理学を学んできたが、専門であるのは「障害のある生に関する思想的研究」である。だから、国民国家論やエスニシティ論、パレスチナ/イスラエル研究に関しては門外漢である。しかしながら、私は大いに刺激を受けた。それはなぜかについてここでは記していきたい。
 現在でも、多くの障害者たちは、自分が望む地域において、自分が望む形態で生活することができていない。親元で暮らすか、入所施設でその一生を暮らさざるを得ない。国の福祉制度じたいもまだまだ足りてはいない。とくに、故郷である親元に、事業所などの福祉サービスがほぼないような地においては、その近隣において十全な生活を送ることはほぼ不可能であり、曲がりなりにも福祉サービスがより多い都心部へと単身、移住するしかない。親元や入所施設で暮らすことを否定する自立生活は、「移動」によって障害者が自分たちの「居場所」を社会の中に作っていく、ある種の「賭け」でもあったのではないか。

 早尾さんのこの書は、ディアスポラという概念(というか、そうした概念を生み出す発想や思考、と言ったほうが的確かもしれない)によって、国民主義、国家主義というものを批判的に解剖していく。とりわけ、日本を含む東アジア、欧米・中東といった国々の近現代における政治経済史における植民地主義/ポスト植民地主義をとらえ返すことで、国民や国家といった枠組みそのものを問うていこうとする、野心的な労作である。「「ディアスポラ」とは、ひとまずはある民族集団の国境を越えた「離散」、あるいはその「離散した民」を意味するものとされる」(p.12)。しかし、もともとこの語は「もっぱらユダヤ人の離散」を指す言葉であった」(p.14)。そして、ユダヤ人国家の建設を目指すシオニズム運動は、まさにこのユダヤ人ディアスポラの否定でもあった(pp.15-16)。「ユダヤ人に独占された亡国離散のディアスポラから、普遍的な越境民としてのディアスポラへ」とこの語は転用されていくのだ(p.17)。こうしたディアスポラの意味の転用によって、ディアスポラは希望となりうるのか? 「答えは明確に否である」(p.18)。ディアスポラの存在は、「ナショナリストを警戒させ、身構えさせ、防御的にかつ攻撃的にさえさせる」(p.19)。現在の世界において数多存在する越境民の存在も、「ボーダーレスな希望に満ち溢れているわけではなく、憎悪と絶望とが渦巻く時代となってしまっている」(p.19)。

 障害者をめぐるここ数十年の歴史を見たときに、まったく同じような様相が現れてくる。1970年代あたりから、親元や入所施設を拒否し、自立生活をはじめる障害者が各地に出現する。自立生活と言っても、障害者に関する制度などまったくなく、障害者本人の社会運動に共鳴した数人の介護者によって生活を回していた、まさに「決死の」時代である。自分たちの居場所をこの社会の中に求めようと、草分けたちが健常者の社会へと「越境」してきたわけである。社会福祉の教科書には、1980年以降、国際障害者年を契機に障害者に関する施策が作られるようになり、ノーマライゼーションへの機運が高まり、バリアフリーも進み、障害者の社会参加がしやすくなったと書かれる。そういう面を否定するわけではないが、実際のところはどうだろうか。障害者が障害ゆえに健常者と同等の生活を送れないのは、現在もさほど変わらない。半世紀前と比べて、障害者差別の方法も多様になってきてしまったのではなかろうか。新自由主義が跋扈する時代において、福祉施策は削減されてきている。また、特殊教育から特別支援教育になったのは、「障害があっても就労可能なように」といった魂胆が透けて見える。介護の必要な重度障害者が議員になれば、「障害者に議員が務まるのか」「介護費は私たちの税金から出すのか」といったバッシングが止まらない。さらに、この50年の間に、胎児の障害の有無を調べる検査はいとも簡便化したり、安楽死や尊厳死に関する議論も興亡を繰り返している。「決死の」時代は、終焉したのではないのだ。
 つまりは、健常者の社会において、障害の有無は「社会にとって必要ないのち(生きるに値するいのち)/社会には不要ないのち(生きるに値しないいのち)」というような峻別が行われている、ということなのである。障害者が社会に出る、すなわち「越境」してくるならば、このような峻別でもってその存在をかき消そうとしてくる、もしくは健常者の社会で努力している障害者として受け入れられる。そのどちらにしても、健常者の社会の持つ「峻別」という構造を乗り越えられてはいないのだ。だから、障害者と健常者との共生と言っても、こうした「峻別」の構造を問わない限りは、まったくの絵空事となってしまうのだ。障害者にとっては、健常者の社会で生存することそのものが「越境」と言ってもよいのかもしれない。

 早尾さんの24ページの記述を、障害者版に書き変えてみたいと思う。

「近現代の歴史の裏側には、つねに障害者たちの大小の闘いがあった。それは目に見える行動であるだけでなく、密やかな「生存」という生き残りの闘いであったりもした。いやむしろ、「生存」が日常である/あらざるを得ないこそが、障害者にとっての「越境」であると言える。それは、己の障害者としての肉体/身体が、健常者的な価値観で構成される社会で生きようとするとき、それはすでに「越境」なのである。このような社会で生きざるを得ないからこそ、障害者は「よそ者」にさせられるのだ。そうした障害者の存在を社会の異分子と見るのではなく、むしろ障害者を視点の中心に据えて社会や障害という属性も含めて世界を逆照射してみたら、どのように見えるだろうか。障害者は当たり前に見えている世界を異化する視点になりうる。そのときようやく、「絶望」のなかから「希望」が見出せるのかもしれない」。

 驚くほどすっぽりと当てはまってしまうのだ。なぜなら、障害者もまた、この社会が健常者的な価値観で占められている限りにおいて、否が応にも「普遍的な越境民」たらざるを得ないからだ。障害者はこの社会において「よそ者」であると私は思うのだが、その意味はこのようなことだ。

 障害者にとって、「故郷(home)」とはいったい何であろうか? それは「生家」ではない。障害のある人の多くの親は健常者であり、健常者的な価値観を親から刷り込まれる。ときに親は障害のある子を「障害ゆえに」悲観し、「愛の名のもとに」殺しもする。近所に同年代の子がいても、保育・教育の段階で多くは分離され、遊び相手はいない。このような状況があるなかで、とても「生家」を「故郷」とは呼べないであろう。
 また、親元を離れて暮らすとしても、この社会には健常者的価値観が蔓延している。そのなかで障害者たちにくつろげ(at home)といっても、なかなかくつろげるものではない。自身が障害者であるという存在そのものが、健常者的価値観という社会のなかで、常に摩擦を起こす/起こさざるを得ない。この社会に埋没するということは、自身を否定することに他ならない。だからこそ、多くの障害者が、自身を否定せざるを得ない。このような状態をもって、「障害を受容できていない」と言ったりするが、こうした言い草は健常者社会において自文化中心主義的に発せられるものである。「障害を受容する」とは、言い換えれば、「健常者中心主義は温存したまま、障害者から「よそ者」性を収奪していく」ことではないのか。

 早尾さんは、次のように記している。

「さて、アドルノからサイードが受け取り、サイードからダバシが展開したこの「アット・ホーム/ノット・アット・ホーム」の視点は、言うほど簡単に手に入るものではない。三人ともに実際に故郷喪失/越境の体験をし、異郷暮らしをするなかで、自らの闘いの日常のなかで、紡いだ思想である。良い概念を見つけたからそれに飛びつけばいいというものではない。そのことは強調したい。だからこそ、たんに言葉で「希望」を表現することに実のところ躊躇している」(p.27)。

 障害者を軸に考えても、まったく同じことが言える。障害者が苦闘して勝ち取ってきた道は、たんに「希望」と表現してよいものではない。日常の「生きる」という苦難の中で、しかしながらしたたかに勝ち取ってきた道である。また、支援制度の縮減や支援者不足という日常的な課題や教育の場面での隔離、胎児の障害の早期発見など、健常者中心主義のなかで生きなければならない現実を前に、「希望」などないように見える。さらに、相模原障害者殺傷事件は、障害者たちが絶望の淵でなんとか築き上げてきた道すらも、一瞬にして破壊した。この「絶望」のどん底から、「廃墟」のただなかから、また「日常」を積み重ねるしかない。それが「希望」と呼びうるかどうかなど、わからない。しかしながら、健常者的価値観と軋轢をくりかえしながら、そうした価値観を逆照射するとき、「よそ者」としての障害者の肉体/身体は、くつろぐことはないまでも、この社会に「異分子」として位置づくことができるのかもしれない。早尾さんのこの書は、障害者問題(という名の健常者社会の問題)を考えるうえでのヒントも多く提示していると私は考える。


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