大西つねき「命、選別しないと駄目だと思いますよ」(2020/07/03)を批判する

大西つねき氏の「命、選別しないと駄目だと思いますよ」を読みました。
何か目新しいことを言っているのかとドキドキしながら読みましたが、まぁ何のことはない、昔からよくあるパターンの高齢者叩きでした。
若者と高齢者との間で命の価値序列をつけているという点で、「譲」カードなどとも符合するものであると言えるでしょう。

高齢者は死ぬ確率は高い

これは何の話をしているのでしょうか。おそらく、高齢者は若者に比べて平均余命が短いと言っているのでしょうが、平均余命が短いからといって、死なせてよいということはないでしょう。ここには、議論の飛躍があります。死期が迫っているということと、死なせてよいということとはまた別のことですが、最後に「順番」という言葉を使って正当化しようとしているわけです。

高齢者を長生きさせるには金がかかるから死なせてよいという論法に加え、「子供を若者たちの時間を使う」、つまりは社会のコストがかかるだけだから「命の選別」をしよう、政治にはそれを判断する義務があると言っているわけです。

社会には多様な人がいます。いて当然です。生きることにコストがかかる人、あまりかからない人、いるでしょう。そうした人たちをすべて包含して、私たちは社会という企図に生まれながらにして否応なく投げ出されたのです。社会は、すべての人の自由と権利と生存を守る義務があるのです。そのかわりに、私たちの生は生まれながらにして無条件に肯定される、そのようなものが社会であるはずなのです。

コストがかかるから「命の選別」をして、ある種の人々は逝ってよし、とするのは、本来は詭弁です。なぜなら、社会というものは、「命の選別」というものをする類のものではないからです。社会というものは、どんな命をも選別せず、どのような人々の存在をも無条件に肯定することでしか成立しえないものなのです。

https://www.youtube.com/watch?v=x7DsNJBX8XY

【文字起こし】
高齢者は死んでいいのか。
高齢者はええっと、高齢者は死ぬ確率は高いし、
そもそもね、ええっとその話ししましょうか。
どこまでその高齢者を長生きさせるのかっていうのは
あれ真剣に考える必要があると思いますよ。
あのなんでかっていうと今その介護の分野でも医療の分野でも
これだけその人口の比率がおかしくなってる状況の中で
特に上の方の世代があまり多くなっている状況で
その高齢者をちょっととにかく長生き死なせちゃいけないという
長生きさせなきゃいけないっていうそういう政策をとっていると、
これ、多くのお金の話じゃなくてあのもちろん医療費が介護料を
金がすごくかかるんでしょうけど、
これ若者たちの時間の使い方の問題になってきます。
どこまでその高齢者をちょっとでも長生きさせるために
子供を若者たちの時間を使うのかっていうことは
真剣に議論する必要があると思います。
こういう話、多分、政治家は怖くてできないと思うんですよ。
命の選別するのかとか言われるでしょう。
命、選別しないと駄目だと思いますよ。
はっきり言いますけど、
なんでかと言いますとその選択が政治なんですよ。
選択しないでみんなにいいこと言っていても、
多分それ現実問題として、多分無理なんですよ。
そういったことも含めて順番として、
これ順番として、その選択するんであれば
もちろん高齢の方から逝ってもらうしかないです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?