南 泰裕

建築家。国士舘大学理工学部教授。アトリエ・アンプレックス主宰。作品に「PARK HOU…

南 泰裕

建築家。国士舘大学理工学部教授。アトリエ・アンプレックス主宰。作品に「PARK HOUSE」「アトリエ・カンテレ」など。著書に『住居はいかに可能か』(東京大学出版会)、『建築の還元』(青土社)、『トラヴァース』(鹿島出版会)など。神田クリエイターズ・ラボ共同主宰。

最近の記事

書くとは、どういうことか #10

書くための環境を、どう整えるか仕事や家庭やその他諸々、様々な事情と制約をかいくぐりながら、何とか、書くことを持続的になしていくには、どうすれば良いか。書いたものが、孤絶のうちに死に絶え消え去るのではなく、曲がりなりにも、ほんのわずかでも、誰かに読まれ、その何滴かの滴りが人を潤し、世界の幹と根と葉に沁み込んでいくようにするには、どのような技法と心構えと工夫が、必要だろうか。 書くことを、自身の不安定な瞬発力に恃んでいては、それらが読まれ、他者に行き届く可能性は極めて小さい。いっ

    • 書くとは、どういうことか #9

      書かれたものの「磁場」と多様性書くことに必要なのは、才能か、努力か。手垢にまみれた、あまりにありふれたその問い方を、さしあたり、<瞬発的なもの>と<持続的なもの>というように言い換えて、分けてみる。その場合、細かいことを抜きにすれば、さしあたり、<瞬発的なもの>は才能に、<持続的なもの>は努力に対応しそうに見える。そしてそのように二分したとき、「書くこと」をめぐってまず照準を当てるべきなのは、いうまでもなく、<持続的なもの>についての方だろう。 他から劃然と分かたれる、乗り越

      • 書くとは、どういうことか #8

        書くことに、才能は必要か文章を書くことに、才能は必要だろうか。 文章読本に限らず、多くの識者や文学者、小説家、文筆家、記者が、それについて数多の言葉を書き残しているのは、周知のとおりである。だから、文章作法や文章術、文章読本や「文章の書き方」の類の、本や論考や記事が、無限に伸び広がる平野のごとく巷に溢れかえっており、その中で「才能か、鍛錬か」「持続か、瞬発力か」「体力か、知力か」「論理か、感覚か」といった問いが、何度も繰り返されてきた。 キラキラと輝くような、あるいは華麗に歌

        • 書くとは、どういうことか #7

          卒業論文、<文学>と<建築>について大学を留年することをきっかけに、誰にも求められることのない卒業論文を書いた。どの前に、卒業研究としては、卒業設計に取り組むことを選んでいた。だから自分にとって、自主的に書いた卒業論文は、単位になるわけでもなかった。また、所属する研究室の研究と関連するわけでもなく、誰かに読まれるわけでもなかった。 要は「卒業論文」というフレームを形式的に借りて、自主的に、自由に、書きたいことを書きたいように書いたに過ぎなかった。一応、形だけの手続きとして、

        書くとは、どういうことか #10

          書くとは、どういうことか #6

          誰でもいつでも何でも書ける誰もが即座にありありと直観するように、文章をものすことほど、簡単で難しいものはない。言葉を紡ぐことはほとんど第二の本能ゆえ、書く、という行為をことさらに意識しない限り、誰でも書けるし、何でも書くことができる。文字の基本を習えば、小学生でも書けるし、職業の貴賎なく、誰でもどこでも何でも書ける。書くための資源や準備もきわめて少なく簡単で、これほど元手のかからない表現行為はない。音楽や美術による表現行為の、準備と道具の大変さに比してみれば、書く行為ほど、ず

          書くとは、どういうことか #6

          書くとは、どういうことか #5

          人生の影絵としての、「書くこと」粘度の高い墨の缶をひっくり返し、ベッタリと塗りたくったような、漆黒の闇をソロリ手探りで進み、指先と足先が、何かに突き当たる。その「何か」が、硬くひんやりとした感触を伝え、触れ回すごとに、朧げな輪郭の手応えを伝えてくる。誰も気づくことのなかった何かがそこにあり、その感触は心地良いようで、得体が知れぬ凶々しさを帯びているようで、掛け替えのない大切な核を持っているようでもある。けれどもその「何か」が何であるのかは、一向に分かりえない。舐めるように、そ

          書くとは、どういうことか #5

          書くとは、どういうことか #4

          文芸同人誌への参加 大学に入り、19歳のときに、初めてまとまった短編小説らしきものを書き、本当にわずかばかりの、書くことの手応えを、初めて感覚した。それは、はるか後になって出版された。が、書いた当時、その短い小説を読む人は、もちろん、誰もいなかった。建築学科にいた自分の周りには、文学青年らしき同級生はいないようだったし、落書きのような告白のような、荒削りの文章の塊を、彼らに見せるのも、いささか気恥ずかしかった。今も納戸の中に眠っている、クリーム色の原稿用紙に書かれて色褪せたそ

          書くとは、どういうことか #4

          書くとは、どういうことか #3

          十代の終わりに十代の終わりは、誰でも一度は、自分の人生の全てが終わったような、絶望と焦燥に向き合う。取り替えのきかない、ほとばしる絶対的な若さの十代という記号がタイムリミットを迎え、取り返しのつかない喪失感に立ち会う。本当は、それがようやく、人生の、始まりの合図を伝えているに過ぎないにせよ。 書く行為は、だから、誰にとっても、そうした人生への焦燥感や諦念、憧憬や不安と、いつでも並走している。十代の終わりが発酵する、そうしたとめどない切迫と楽観、失墜と残酷の振幅を抑え込むた

          書くとは、どういうことか #3

          書くとは、どういうことか #2

          技と心おそらく高校1年生の頃に、それが仮に柔らかな夢想であったにせよ、あるいはイノセントな錯覚であったにせよ、書くことへの意識が突如、着火した。書くことで、自分の思考が転がりながら膨らんでいくことの快楽を、わずかばかり、感受した。書くことで、自身の隠れ家と逃げ場が、ようやく見出されたように感触した。書くことで、過去の自分をおぼろげに呼び戻し、未来の自分を生き生きと手元へと引き寄せることができるように、感覚した。 高校生の自分にとって、書くことはそのとき、出口のない日々の、自

          書くとは、どういうことか #2

          書くとは、どういうことか #1

          書くことの意味かつて芥川賞作家の開高健が、同じく作家で先輩にあたる井伏鱒二に、自分の人生について悩み、相談をしたことがあった。ときに、開高52歳、井伏は85歳。 「この齢になって、夜更けに、人生について、しばしば迷う」と吐露する開高に対し、井伏はさらりと一言、次のように言う。 「書けばいいんだ」 その答えに、開高が納得したかどうかは分からない。ともかくも彼は、ごく自然に出てきたその回答に対して、なるほど、と答えていた。 書くという行為の意味を、ここで改めて考え直してみ

          書くとは、どういうことか #1