オリンピック開催の是非

オリンピックを開催して良かったかとのアンケートに6割の回答者が良かったと回答していた。
正直な感想としては、私もオリンピックを開催して、また数々の名シーンを見られて良かったと思っている。どっちにしてもチケットを入手出来なかった身としては自宅TV観戦上等。様々な論議のある中でアスリートの奮戦する姿、そして関係者の尽力に敬意を表したい。

五輪と感染爆発の因果関係で言えば、これはほぼ無いという所感である。恐らく五輪を開催しなくても感染爆発は起こっていた。政府は単純に感染対策の不備を認めて謝罪……はまあしないだろうけど、早急に修正をするべきと思う。それも入院基準の変更などという現場に負担を押し付けるような対策ではなく、自分たち自身で汗をかくような対策を望みたい。

入院基準の変更は単なる事実追認であると前の記事で書いた。政府はこれを事実上撤回したけれども、政府が撤回しようがしまいが、中等症者の入院は現在非常に難しくなっている。「これは病床のオペレーションの話でございますので」と、医療の素人が決定を下す事がさも当然のように田村大臣が言っていたけれども、笑止千万、これは逆に医療関係者でなくては判断出来ない、判断してはいけない事であるのは少し考えればわかる事である。入院が必要かどうかは医師でないと判断出来ない。入院が必要かどうかは病床の逼迫とは無関係だからだ。
自分勝手に、恐らく国民のご機嫌取りのために対策チックな事をやりたかったのだろうが、とんちんかん過ぎて逆効果なだけでなく現場にも混乱を招くような事を言わずに黙って引っ込んでいて頂きたい。現場のことは現場に任せるのが大前提として、現場から上がってくる声に対応するのが行政の役割と思う。

具体的には、病床の逼迫に対応するには、病床を増やす事と感染者数を減らす事、これに尽きる。この2点は医療現場では如何ともしがたく、政府が政策として実行するしかない。ニュースなどで耳にする限りでは政府はこれまでこれを殆どやって来なかった。多少やったのかもしれないが全く不十分だった。
甘い見通し、経済優先、選挙優先、自民党が長期政権で学習したこれらの悪癖を踏襲堅持した結果であると思う。そもそものコロナ軽視、何があっても経済さえ好調ならばOK、誤魔化し続けていれば逃げ切れる、選挙直前の空気さえ握っていれば問題ない、という無責任政権。引いてはこれを育てた有権者の責任である。

旧民主党時代とどちらが酷かったかという論議もあるが、私の感じる限りでは、旧民主党は現実を直視した対応を行なっていた。非常時であり未経験の事態には当然ミスも間違いも発生するだろうが、それでも旧民主党は目の前の事象のみを見、目の前の事態を解決するのに最善と思われる政策を取っていた。
原発までヘリコプターで乗り込んだっていいじゃない。あれで勇気づけられた人も少なからず存在する。人の評価はマスコミによって左右される。あれが一国のリーダーとしてあるまじき愚行という評価になったのは、自民党がそう言い出したからでありマスコミがそれに同調したからだ。
私の持論としては、リーダーの役割とは実務ではなく精神的支柱たる事だと思っている。実務は実務担当者がやる。国民に勇気を示すのはリーダーとしてのひとつの在り方であったと思う。
更に、自民党は東京電力と組んで、必要乃至正しい情報を政府に渡さなかったり、政策の実効性ではなく体裁(リーダーとして如何なものか的な)を批判する事で政権を貶めるのに精を出していたのもよく記憶している。

対して現政権は、現実を直視しない態度が目立つ。大震災とコロナ禍、事態の性質も相当違うのもあるだろう。大震災、原発事故は、その場その場即断即決を迫られる性質のものだったが、限られた時間でよく対応していたと思う。少なくとも政策によって実害が生じた事は無かったと記憶している。計画停電など、有効性効率性の指摘はあったが、少なくともそれで被害が悪化した事実は無かった筈だ。

現状のコロナ禍は逆に考える時間はたっぷりあった。発生から一年半という時間がありながら、必要な対策有効な対策を殆ど打っていなかった事が今般の感染爆発で明白となった。
突端は初期のコロナ軽視であると考える。水際対策の不備、感染拡大防止より経済優先、夏になれば収まるだろう、ワクチンが普及すれば大丈夫だろう、という楽観視。経済さえ持続していれば、経済さえ回復すれば、一刻も早く経済回復させなければ、と、アクセルを踏み急いだ。この経済偏重は何を見て行っていたのか?国民だろうか?いや、国民ではなく支持率だし、経済界の重鎮の顔色だろう。

初期の間違いを間違いと認めないから軌道修正ができなかった。何に忖度しているのか?アベちゃんが間違っていました、なんて言えないんでしょうね。

菅総理はじめ、関係閣僚はこれまで医療現場の視察を全く行っていない。現場の痛みとは無縁の場所から、自分たちが骨を折る必要のない政策だけを現場に押し付けてきたと言える。国民に自粛を求めながら自分たちは一切自粛しない。国民に経済的負担を強いながら自分たちは一切負荷を背負っていない。税金を注ぎ込むなら、どこに投票するか分からない飲食店経営者よりは、票田たる各方面の経済団体に注ぎたいんでしょうね。

発生から一年以上経った時点での医療逼迫は政治責任であると言えよう。入院出来ず高度医療を受けられずに亡くなった方々の命の責任は政府にある。この意味において、現政権の無責任さは戦後類を見ないと言えよう。


この期に及んで政府はまだ楽観視を続けている。ワクチンが普及すれば大丈夫であろうと。しかし、ワクチンの有効性については、重症化を防ぐという点では期待できるが、集団免疫の獲得という点ではあまり期待できないというデータが出始めている。2回の接種では足らず3回目の接種を進める国も出てきた。更なる変異株の登場の可能性も大きい。
頼みの綱のワクチンが成果を収めなかった場合の想定を、政府はちゃんとしておいて欲しい。今度こそ総理自ら本気で人流抑制を強く発信し、病床を拡充し、いざという時のロックダウンの為の法整備を進めて頂きたい。
民間にリモートを要請するならまず国会からリモートにするべきではないのか、民間に宴会自粛を求めるならまず自ら宴会をやめるべきではないのか、といった常識が常識である対策を。コロナの問題を自身の問題として捉えられない人間に政権を委ねる気にはなれない。

政権幹部は、自民党トップは、逼迫した医療現場に是非足を運んでもらいたい。それこそ事故原発にヘリコプターで乗り込むごとき行為が必要なのではないか。いつ感染するか分からない、感染しても入院出来ないという危機感を自分のものとして捉えられない限り、実効性のある対策など望めないのではないかと思う。


オリンピックはやって良かったと思う。しかしそれは政府の手柄ではない。
感染爆発はオリンピックのせいではなく、政府の政策判断ミスであり、人災である。
オリンピックと感染爆発は切り離して別問題として考えて、次の選挙の投票行動に反映されて欲しいと思う。

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