コロナ戦線異常なし

金曜日の菅総理の記者会見を見て久し振りに一言物申したい気分になった。

安倍前総理以来自民党では、質問に対してまともに答えないテクニックが総理大臣の唯一必要な能力であると認識しているようだ。
菅総理も相変わらず会話のドッジボールがお上手だ。受け切れない質問はとにかく避ける、避ける、避ける、ドッジボールなら受け止めて投げ返すパターンもあろうが、総理が質問を受け止めてまともに投げ返すのをこれまで一度も見た事がない、聞いた事がない。
再質問NGのシステムがそれに一役買っている。どんなとんちんかんな答えをしても答えた事になってしまうので問い直しができないし、別の記者が同様の質問をすると、同じような質問ばかりと言われて一蹴されてしまう。

私は質問には真摯に答えるというしごく真っ当な教育を受けてきた。教師は生徒に、大人は子供に、誠意を持って相手が納得する答えを返すのが当然であると学んできた。だから先日の記者会見のようなのらりくらりはぐらかしてばかりの人間を見ると、非常に不快に感じる。不快であり不愉快だ。

何故まともに答えないのか?

答えられないからだ。答えられる質問には答えている。はぐらかすのはまともに答えると都合が悪いからだ。その理屈でいくと、はぐらかした質問については自ら非を認めたも同然と思うべきである。

記者は言質を取ろうと必死なようだ。YES NOで答えられる形にしたり、明らかに矛盾した事実について聞いたりするのだが、それでも思うような答えを返さない菅総理の会見術の方が一枚上手のようだ。どんなに不誠実だろうと、どんなに相手を不快にさせようと、そのようにはぐらかし続け誤魔化し続けていればいずれ何とかなるという実績が出来てしまっている。
ならばもう、まともに答えなかった質問は、それをもって質問者の勝ちでいいのではないか。そう翻訳してしまえばいいのではないか。

例えば、「辞任する覚悟はあるか?」との問いに答えなかったのならば、「辞任する覚悟はない」と答えたのと同義と見做していいだろう。

この人はコロナ対策で責任を取るつもりは全くないという事だ。どんなにコロナ禍が拡大しても、責任を認めるつもりは一切ないという事だ。
以前なら「仮定の話には答えられない」と答えた事だろうが、先日IOC会長の「コロナが改善したら」という仮定の話にしっかり答えてしまったので当分その手は使えなくなった。

どなたか総理の言葉を翻訳していただけないだろうか。日本語の通じない総理大臣の話をこれ以上聞くのは苦痛である。

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