水星って進んでるのね


多くの人間が長い間囚われたエヴァという物語は、庵野自身が苦しむ事によって贖い続け、最後の贖罪として物語の終わりを書いた。
この一つの事件とも言える出来事は多くの作家と読み手にとても大事な事を教えてくれた。
エヴァの呪縛が解けた事はやっぱりとてつもなく大きな意味があったのだろう。
物語は終わって初めてまた新しい物語に繋がる。
物語の終わりとは言わば作者の答えだ。
俺はこの物語にこういう答えを出したという宣言だ。
それを見て、俺たちは新しい物語と新しい答えを出すんだ。
物語は終わって初めて完成する。
これが作り手の背負うべき責任なのだろう。

それを改めて感じさせてくれた水星の魔女に心の底から感謝を。
あらゆる作品が水星の魔女に確かに息づいている。
それはオマージュやパロディなんて類ではなく、その全てが血や肉となり、細胞からDNAまでに刻まれている。
これが文化の美しさと素晴らしさだと俺は思う。

水星の凄い所を具体的にあげるなら、まず何よりも構成だろう。
物語を構成する要素がこれだけあって、その全てに愛がある。
そしてそれらをこれだけ美しくまとめ上げたプロットは叛逆以来だろう。
母と娘であるスレッタとプロスペラ、父と娘であるデリングとミオリネ。
ここの対比を父と息子ではなく父と娘にしたのは物語におけるスパイス的要素なのだろうがそれがものの見事にハマっている。
と2期のグエルを見るまでは思っていた。
まさかのダブルヒーローだった。
スレッタの対比はグエルだったのだ。
父と二人の息子の兄
母と二人の娘の妹
この対比は隠し味どころではなかった。
確かに食べ始めた時はただの隠し味だった。
しかし食べれば食べる程にその存在感は際立ち、病みつきになる。
なんというギミックだろう。
そこに養子ではあるも親子の情のようなものはあるシャディク、さらには親すら定かでないエランや孤児のニカ。
この三人とスレッタとの対比がどうなるのかもとても気になる。
なんとも美しい構成である。
それだけに展開の予想ができてしまう。
グエルが親を殺したのならスレッタも殺すだろう。
それはグエルの無意識とは反対に意識的に。
しかしここまで来るとミオリネを構成する要素が少なく、ギミックが中々効かない気がする。
対比もいるようで居ない。
となると第二の仮説が産まれた。
ダブルヒーローでありダブルヒロインでもあったのだ。
ミオリネがヒーローでもあるという事。
この仮説もまた17話でかなり確信を帯びてきた。
本当に仕掛けが凄い。
この先これらの仕掛けがどう動いていくのか楽しみで仕方ない。

(酔っ払いの戯言)

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