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穴を塞いで、ネイビーブルー

学校に向かう途中、意識すればするほどたくさんの紫陽花が咲いていることに気づいて自然と足取りが軽くなる。紫陽花って、土壌のphが酸性だと青系、アルカリ性だと赤系、中性だと紫系になるんだって。これ知ると、あじさいの漢字が「紫陽花」なのがなんかすごいいいなあって思うのよね、何がいいのかわかんないけど。

「何がいいのかわかんないけどなんかいい」これを生涯大事にしていきたいと思っていて、逆に全ての事象に理由や意味を求めてくる人とは相容れないなあと思う。例えば映画、本、絵画、音楽の感想や聞かれて答えるとき、「良い」「すごい」と表現することは思考の放棄だとか語彙力無いとか言われるけど、そんなん知らんよね。だって「良い」は良いだし、「すごい」はすごいだし、わたしが感じた情動はわたしの言葉でしか伝えられないんだからそれでいいのよ。最近だと「エモい」とか、語彙力がない若者がほざいてるだとか言われがちだけれど、そうか?と思う。「エモい」「良い」「すごい」でしか表現できない感情がそこにあったってことだろ、そんなのめっちゃかっこいいじゃんね。

帰りの電車で、車窓の向こうは吐き気がするくらい真っ青で、夕焼けもいいけどこれはこれでいいよねえと思った。なんでもない日々の中に散らばった刹那のきらめきを死ぬまでかき集めて、大事にすることなくその場でボリボリ食って生きていきたいなーと思う。たとえば紫陽花のひとひらに感動したり、滲む青色に感傷的になったり、こうして日記を書いたり、好きな人と話したり。今日もいい日だったな。