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お腹いっぱい豊かな堕落

あなたにとって生きるとはどういうことですか?と小学生の道徳の授業で問われたことがある。人の助けになること、人と関わり合うこと。ひとりひとりが席を立って発表する。私の番まであと何人?ああどうしようなんて答えよう、なんて冷や汗を握りつぶしながら下を向いていると、あっという間に隣で椅子から立ち上がる音が聞こえた。クラスの中でも大人っぽい、女子から人気の男の子だ。「効率的に生産的に物事をこなして成功すること」こんなに真っ直ぐ声を放つことができる人っているんだなあ、とそれだけ思った。数秒後、わたしも立ち上がる。

今日は何をしようか、かなりの低血圧なので起きてすぐはなかなか動けないけれど、今日は授業もないのでまあまだゴロゴロしていよう。微睡の中で朝の感触を味わってからベッドを抜ける。お気に入りのワンピース、春を生き抜くためにせっかくお高めのを買ったのに、結局着る機会がなかった。これを着よう、これを着て、ギターの弦を買いに行こう。電車の中で音楽を聴く、久しぶりに都会へ行くので少し緊張する、人が溢れた駅で降りる、緊急事態宣言も解除されたので、いつも通り人々の予定の総量が膨れ上がって、停滞している。駅前をぶらぶらしてから、楽器屋さんに入って弦を買う。いつもよりも高いのを、あとピックを。楽器屋をでてすっかり暇になったのでまたぶらぶらする。暑いし疲れたのでなんとなく古そうな小さい映画館に入って、適当に選んだ洋画を観る。恋愛とセックスの映画だったような気がするけど、とにかくふざけんなよ!って感じの映画だったので大人しくキャラメルポップコーンで自分のご機嫌をとっておいた。またなんとなくで本屋に行って、最近ハマっている三島由紀夫の本を一冊買った。特に行くあてもなくひたすら歩く。途中で目に入ったカフェでカプチーノをテイクアウトして、ゆらゆら進む。遊歩道に植えられた木を見て、都会の整備された自然も悪くないな、と思う。なんていうか、悲壮感がまるでなくていい。帰ったらなにをしようか。読みかけの本を読むかもしれないし、読まないかもしれない。くすんだ青色のワンピースが、はらりと風を掠めた。

あの時私はこう言った。「無駄を愛すことです」

授業後私はなぜか職員室に呼ばれて、隣の席の男の子からはわかりやすく嫌われた。

人生は、生まれてから死ぬまでの時間だ。何かを成し遂げたっていいし、なにもしなくてもいい。効率的生産的に生きたっていいし、そう生きなくたっていい。わたしはなるべく今日みたいに、ダラダラしながら死を迎えたい。無意味なことをし、無意味に何かを愛し、無意味に泣き、楽しむ。もう夜か、はやいなあ、そういう感じで眠り、死んでいく。目下の目標なんてなくても人は人として生きられる。

夜中にこっそりチョコレートを食べること、特に何もせずぼんやり朝日を見届けてからようやく眠りにつくこと、動物園で暇つぶしにパサついた冷たいフライドポテトを食べること、廃れた映画館でクソみたいな洋画を観ること、意味もなく歩き日記を書くこと。人生の大半は無駄で構成されていて、幸運なことに私たち人間は無駄に愛されている。

豊かさとは成し遂げた物事の数で決まるわけじゃない。そう強く思って、人生の無駄も憂鬱も、都会の空気とあわせてぺろりとたいらげた休日の話だ。