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堀内恒夫と善光寺の住職

急に野球の話。

8月6日の巨人対阪神戦。巨人が11点差をつけられた8回1死走者なしの場面。ブルペンには4投手が残っていたが、マウンドに上がったのは内野手の増田だった。敗戦濃厚とはいえ、この異例の采配に甲子園は騒然とした空気に包まれた。

平たく言うと、巨人が試合終盤で「今日の阪神つええ!もうダメだ!」という事で、本職のピッチャーじゃなくて野手にピッチャーをやらせてその日を凌いだ。という事なのだが、これに対して賛否両論だった。

「長いペナントレースを考えればそういう戦略もある」という人もいれば、「金を払って観に来ている客を馬鹿にしている!」という人もいた。

この件に関してとりわけ多く取り上げられたのは、巨人軍OBの意見。


堀内恒夫は反対派。


上原浩治は賛成派。


これに対してネット上では、堀内さんを悪く言う意見がかなり多く見られた。

「考え方が古い」だのなんだの、アンチ巨人だかウンチ欲しいだかなんだか知らないが、ひどい言葉で罵っている人がネットにはいた。(別に意見はいいけど誹謗中傷は言語道断)

うちの相方はいい事を言っていた。

「堀内さんの世代はそういう考えで当然だろ。」

そう。堀内恒夫は王貞治・長嶋茂雄らがいた1965年〜73年の巨人のV9時代のピッチャーだ。

当時は今と違って娯楽も少なかったし、国民の野球に対する関心は今とは比較にならなかっただろう。

そんな計り知れないプレッシャーの中で『球界の盟主』として誇り高くプレーした人のうちの一人だ。

だからこそ、「絶対に巨人を倒すんだ!」というライバルも出てきて、野球は一層盛り上がって人気を博したはずだ。

ファンもアンチもたくさん生んだだろうが、世界的にはマイナースポーツである野球が、日本でここまで定着して愛されているのは、そういった先人の礎無くしてはあり得ない。

そういう時代を生きた人の信念を、後の世代の人間が好き勝手に言うのは敬意を欠いていないだろうか?


何故か善光寺の住職を思い出した。

『触れば病が治る』と言われている像に、このコロナ期間は触らないでくれという一見矛盾しているこのニュースが報じられた。

「(接触感染で伝染する)コロナが流行ってるんだから当然だろ」という意見が多く見られたが、全然当然じゃない。

善光寺は絶対秘仏を要する日本でも有数の歴史ある寺で、そのルーツは644年にまで遡る。

善光寺参りに今まで一体何人の人が参拝に訪れただろうか。

その気の遠くなる様な歴史を背負った現住職が、自分のところの像に触るなと言った事の重みを想像できないは悲しい。

人が信じているもの、信じてきたもの、それが時代と合っていようがなかろうが、軽々しく否定する前に想像力を働かせるべきではないだろうか?




コーヒーが飲みたいです。