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18歳。神戸でアルバイトに明け暮れた。


18歳の時、僕はお笑いの養成所の入学資金を貯める為に、地元神戸で一番の繁華街・三宮にあるおしゃれ居酒屋で月に25日くらいのハードアルバイトを始めた。



店長は当時29歳。くるりやアジカンをこよなく愛し、古畑任三郎が乗っていたような高級自転車を乗りこなす、これぞ神戸といった風体のおしゃれイケメンだった。

ビッグイシューをよく買うナイスガイで、家具屋さんに勤める無茶苦茶美人と同棲していた。いつも僕の服装や髪形にダメ出しをしてきた。

店長はダイエット中で、毎日豆腐ばかり食べていた。その甲斐あって一時期めきめきと痩せたが、常連さんからは「店長…病気か…?」と心配されていた。



その店長の右腕とも呼ぶべきアルバイトのエースには、28歳くらいのバンドマンがいた。

ホールもキッチンもこなし、朗らかな性格と軽快なトークで常連客も掴む飲食業の申し子のような人だった。店長は当然社員にしたがっていたが、本人は頑としてアルバイトの立場を貫いていた。

毎週決まった曜日に「スタジオに入るから」とバイトを休んだ。一度店内でそのバンドの音源を聴かせてもらったが、ケミカルブラザーズに激しいギターが入った様な難解な曲だったので、僕は難しい顔をして「すごいっすね」とコメントをした。多分それで合っていた。

内心「売れもしないのによくやるな」と思っていたことを、当時の彼の年齢をとうに追い越した今、正式に謝りたい。



もう一人はホール専門のエース。華奢な色白美人で、彼女を目当てに来店するおじさん常連客もいるほどだった。

普段何をしているのかは全くの謎だった。ただ一つ、もの凄いスピードでドリンクを提供することだけは確かだった。

プライベートは全く見えなかったが、恐らく前述のバンドマンと付き合っていた。俺の目はごまかせない。食が細くて全然まかないを食べなかった。



他にもう一人、ホールにやかましいお姉さんがいた。

この人は12人組くらいの大所帯ファンクバンドのボーカルで、大して仕事もしないのにナイスボイスで文句ばかり言っていた。声が良いので聴いていられた。

タワレコでそのバンドのCDを買ったところ、痛く感激してくれてそれ以来よく可愛がってくれた。大して仕事もしないのにむちゃくちゃまかない食べた。



みんな歳は10歳くらい上だったが、一人だけ年の近い鼻にピアスをしたISSAっぽいイケメンがいた。

店で女性客から逆ナンされるほどのイケメンで、当時流行りのHIPHOP系のファッションもなかなか板についていたが、なんだか少し挙動不審で残念なイケメンという印象だった。



僕のアルバイト開始と時を同じくして、神戸に空前のジンギスカンブームが訪れる。

新しもの好きの神戸人は、ラム肉に含まれるLカルニチンを求めてこぞってジンギスカン屋へ足を運んだ。

僕の勤めていた居酒屋は、ブームに乗るべく店舗の二階を改装してジンギスカン屋をはじめ、とても繁盛した。その繁盛はガスコンロの火が豚カルビの脂に引火して店が半焼するまで続いた。

そのジンギスカン屋の店長は刺青の入った阪神ファンで、いつも慌てていた。3組くらい客が来るとテンパるサンタクロースばりのあわてんぼうだったが、火事が起きたときは慌てずに対処したらしい。



もう一人、系列のジンギスカン屋さんのおじさん店長にも可愛がってもらった。

おじさんはハードボイルド小説の第一人者・大藪晴彦の大ファンで、初めて会った日に「蘇える金狼」の良さを熱っぽく語られたので、読書家の父に借りて読んだ。

他にも大藪作品を何作か読んだが、ほかの作品もほぼ「蘇える金狼」で、概ね抱いた女性を雑に扱う作品だった。



バイト先の人はみんな大人でおしゃれだった。全員生粋の神戸っ子で、ダサいものは蛇蝎のごとく嫌い、常に斜に構えていた。そして神戸がみんな好きだった。



店からちょっと離れたところにボクシングジムがあった。ある日店長が「あのジムにウィラポン(・ナコンルアンプロモーション)に勝った奴がいるらしい」と言うので見に行った事がある。

その”ウィラポン(・ナコンルアンプロモーション)に勝った男”というのは後の三階級制覇王者・長谷川穂積のことだ。

あの辰吉や西岡が勝てなかった伝説の王者・ウィラポン(・ナコンルアンプロモーション)に勝つなんて、とんでもない奴がいたもんだと思うと同時に、少し誇らしかった。

長谷川はその後リベンジに燃えるウィラポン(・ナコンルアンプロモーション)を二度目の対戦でも返り討ちにして、絶対王者へと輝かしいキャリアを駆け上がる。

ウィラポン(・ナコンルアンプロモーション)は引退してトレーナーになり、ナパーポン(・キャッティサクチョーチャイ)やスリヤン(・ソー・ルンヴィサイ)やパイパロープ(・ゴーキャットジム)を育てる名伯楽となった。

長谷川が王座を防衛して雅(・トミーズ)さんに肩車される度にあの日のことを思い出したものだ。



アルバイトを始めてしばらくすると、見覚えのある女の子が新人として入ってきた。中学の同級生だった。店長曰く「あの手の顔はここから可愛くなるから即採用した」らしい。

当然その子とは家が同方向なので、たまに同じバスで帰った。

「店長ってなんで豆腐ばっかり食べてるん?」と聞かれたので「ああ、試合近いから減量してはんねん。あの人ボクサーやから。」と根も葉もない嘘で適当に返した。

するとその子は次の日店長に向かって「試合頑張ってください!」と声をかけていた。店長は「おう!」と答えていた。なんの「おう!」やねん。



一度営業後にISSAの家に泊まりに行ったことがあった。おしゃれな部屋は綺麗に片付いていたが、妙だった。飾ってある学生時代のものと思しき写真に肝心のISSAの姿がないのだ。

僕は写真を指差して「ISSAさん(仮)いなくないですか?」と聞いた。するとISSAは恥ずかしそうに「これが俺だよ」と写真の中の一人を指差した。

むちゃくちゃデブだった。

ISSAは少し前まで百貫デブで、一念発起ダイエットしたら急にイケメンになったらしい。なので今のようにモテるのは人生初らしく、イケメン扱いされる度にめちゃくちゃ戸惑っているらしい。

ついでにファッションもHIPHOP系なわけではなく単にサイズがぶかぶかになっただけらしい。そんな事あんのか。

そんな劇的に痩せたダイエットの方法を聞くと、豆腐ばっか食べてたらしい。店長…。ごきげんだぜ…。



お笑いをやりたいって事も、何も誰にも打ち明けないまま、僕は闇雲に働いて早々に辞めた。あの店は今はもう無いらしい。



コーヒーが飲みたいです。