清洲散策

本日3月19日、終業式終わりに何となく学校から自転車で清洲へ。片道約12キロ、慣れたものだけど。

まずすぐ近くの千間堀川へ

一見ただの川なのだが、実は戦国時代に一宮市の浅野城にいた杉浦五左衛門重勝が作った用水。なお重勝は浅野城に入る前は杉浦城という場所にいたとされるが、詳細が一切不明のため浅野城の別名という説もあるが、僕は屋敷程度のものであったとしても重勝が拠点にしていた何かしらが存在したのは確かだと考えている。
以下に尾張志にある重勝が千間堀を作った際の様子を引用する

此川由来ハ当村杉浦五左衛門と申勇士有之由二而云伝へ、右川堀之節、浅野村より平島地内打越、次二西ハ我壌村東ハ外崎打越稚ナ川迄落入、凡千間計之処昔古杉浦殿手鎗之鞘を抜、手勢引具し右川堀割由云伝ける。

要約・補足すると、重勝が用水を作ろうとしたが、別地域の農民の反発が起き(理由は省略)、そのため武装した兵士で固めて一気に工事を行った。


さて脱線したが、そのまま南下し清洲へ
偶然途中で面白い神社を見つけ寄り道。

もはや古墳で、遠目に古墳かな〜いやでかすぎるかと思いながら寄ってみる。古墳説と清洲城の外堀の土塁説があり、古墳と神社の相性はいいが、恐らくこれは土塁であろう。古絵図とか地籍図でもみたいが後回し。

にしても土塁ならなかなか。清洲城は天守が復元されているが、はっきり言ってそれだけで、他には遺構は無い。ここまで見事な土塁が残っているなら是非とも整備対象にしてほしいところです。また要検討。なお清洲城は昨年新清洲駅から歩いてる行ったため今回はスルー。
せっかくなのでその時の写真を載せておく


そして目的地の朝日遺跡ミュージアムへ

初めて行ったが、想像以上の整備で、子どもが多いのに驚きながら博物館へ

パレススタイルやS字口縁などこの地域の土器が多く展示され、なかなか見もの。小さい展示室ですが、映像を駆使し(志段味古墳群のシダミューと似てる…)子どもにもわかりやすい解説

貝塚もなかなか立派

じっくりみてから稲沢市中央図書館へ寄り、今調べてる祖父江氏あたりをじっくり。特に戦果は無し。

ついでに見に行ったが、昨日から一宮駅で尾西高校が折鶴を展示中。我らが一宮高校も来月末展示予定。乞うご期待。

最後脱線したが、清洲巡検は十分実施可能に感じた。新清洲から清洲城、朝日遺跡、廻間遺跡など尾張の始まりを感じることができるのではないだろうか。。

R2年度会長TN

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