光の源氏兄弟~物理化学的視点からの刀剣乱舞~
こんにちは。インターネット感想マン、椎名ネギ丸です。
noteはこれが初めての投稿になります。
初投稿にして、なんだこの挑戦的すぎるタイトル。まさに行動力の化身。怖いもの知らずにしか書けないタイトルですねこれは。
最初に注意喚起ですが、これは紫式部先生の素晴らしき超大作の主人公の名前でも、ジャニー喜多川先生が見出した素晴らしきアイドルグループの名前でもないです。
刀剣乱舞の源氏兄弟の話です。髭切と膝丸。
「 源 氏 兄 弟 は ”光” で あ る 」
ということを言いたいのです。
「ああ~ネギ丸さんの影のような人生にとっては光なんですね、わかります、推しって光ですよね・・・!」という意味でもありますが、もうひとつ。
わしは実はここに既に『二重性』を見出しております。
やや!キーワード、いきなり出てきました。『二重性』。これ大事です。テスト出ます。覚えといてや。
「 源 氏 兄 弟 は 二 つ の 意 味 で ”光” で あ る 」
これですわ。覚えといてや!!
昨今の自分絵で一番気に入ってるやつ出しました。まさに光の粒子をまとっているんですけど。
『粒子』
やや、また出てきましたね、キーワードが。これもめっちゃ大事です。覚えといてや!!!
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ところで
オメーは今から何を語ろうとしているのか、まずタイトルが何なんだよ、物理化学・・・って何やねん、という人も多そうです。そろそろイライラしてそうです。
わしは何を語ろうとしているのか。それは「わしがどのように刀剣乱舞の源氏兄弟をみているか」という見方、解釈の仕方です。
沼りすぎた限界オタクって、時に自分の解釈があってるのだろうか・・・とか悩み、公式すら地雷になってしまうとかいうこともあろうかと思います。
解釈は自由、それは自分の中でだけとどめておくべきなのでしょうけども、わしは何かもう色々考えすぎて爆発して噴出してしまいそうなので、こうしてnoteに書き留めて脳を整理しようと思いました。5年分の考えです。
5年追い続けて、これまで考えてきた源氏兄弟への想いと、かつて学んだ化学の現象理解の仕方に共通点ある事に気づいて、これは何かにまとめなければ!と思いました。
さて、そろそろ真面目に始めます。
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モノと御伽
源氏兄弟はまあまあ不思議なキャラです。膝丸君は異常に「兄者兄者」と連呼するし(数える動画がある程)、スペックとしても、なぜかこいつらだけ特付ランクアップで衣装変わるし性能アップするし・・・ステータスとか、互いに苦手を補完し合う性能もちです。ニコイチ感が強めです。
二振一具(ふたふりひとそなえ)。
このニコイチには元ネタがあります。『剣巻』という物語です。
超ざっくり言うと、「髭切」と「膝丸」という刀が色んな持ち主の手に渡って色々活躍して、名前もころっころ変わって、途中離ればなれとかになったけど、源頼朝のところで揃って鎌倉幕府もできてHAPPY!!!YEAH!!!!!源氏万歳!!!!!!って感じだと理解しています。
※詳しくは考察本がたくさん出ておられますのでそちら読んでください。
この『剣巻』は物語、創作、御伽話とも言える。そういう類のもので、事実をもとにしたフィクションって扱いだと思います。
はっきり言いましょう。
源氏兄弟がニコイチというのは創作だ とわしは理解しています。
理系だからそんな辛辣なことを言うのか?!わし酷いやつだな・・・!!
でも別に兄弟だということを否定しませんし、ニコイチはニコイチで良いと思ってます。そう願った人が居たのです。それは事実。創作じゃない。
源氏兄弟の物語を愛した人が居た、そうあれと願った人が居たのです。
これどっかで聞いたような???ピンと来た人は最近関俊彦にやられた人ですかね。
特命調査「慶応甲府」ですね。
刀剣男士は「愛」という鎖に縛られ、「愛」によって強く、顕現できるのだと、一文字則宗はなんかそんなことを言っていた気がしますね。
源氏兄弟もそうです。愛されてきたし、愛されている。
愛されてきたことの証拠は『剣巻』だけではなく、刀ミュで取り上げられた『曽我物語』もそのひとつだし、『太平記』に髭切の活躍具合が書かれておったり、他にも色々あるという。
文系の道は高1で捨ててしまったので、本を読み込むのは苦手です。なので実際に上記文献は読めてません。ありがたい考察本からの知識であります。
あと、この5年、源氏兄弟にまつわる寺社仏閣、展示会、それに付随する講演を見聞きしてきました。
刀剣乱舞内外関わらず、とにかく人々が「源氏兄弟刀とそれにまつわる物語を愛している」ことを目の当たりにしてきました。
モノとして伝来して現存する、髭切と言われる刀たちや、膝丸と言われる刀たちを己の目で見てまいりました。
居 ま し た わ 。
箱根の膝丸君と大覚寺の膝丸君はまた違うんですなあ・・・北野天満宮の兄者の反りはマジカッケーいかつくてハイアンドローに出てきてもおかしくねーと思ったり・・・(自由な感想)。出張展示先では証明の当たり方も違うので同じ刀も違って見えたりして、その時何と隣同士で並んでるかによっても見比べたら違う所や似た所発見してまた違う・・・とか。
その中でも、自分の今の価値観が確かなものなったのは、京のかたな展であります。
北野天満宮の兄者、大覚寺の膝丸君の二振同ケース展示にて、末兼俊彦先生監修、岡本信彦氏の素晴らしきナレーションで語られていたこの言葉によって、わしの中の何かが確かになった感覚があります↓
”これらの伝承はこの二振りが作られたとされる時期と一致しません。
ただ、物と伝承は必ずしもおなじである必要はありません。
物事を語り伝えるためには”記憶を託すモノ”が必要なのです。
歴史を背負うにふさわしい名品だからこそ、伝承が積み重ねられ
いつしか本物として語り継がれていくのです。”
今も覚えていますよ。同ケース展示が決まったという「お知らせをツイッターで見ただけで泣いた」というわし最大の事件を。(限界オタク、泣く)
そして当時泣きながら描いた漫画の冒頭がこれですわ↓
思い出して泣いとる;;;
刀剣なんて、手入れをしなければすぐ錆びますよ。
所詮鉄の塊であるわけなので、空気中の酸素でどんどん表面は酸化されますよ。様々に酸化度をコントロールされた鉄をしかるべき配置に置き、強靭さと粘りを良い感じに調整され「折れにくい」ようになっているその奇跡の状態を、何もせず放っておいたら、そりゃあすぐ折れる。
それが折れずに「モノが在る」ということは、愛されていないとまずもう居ないわけです。在ることができないです。何百年レベルでなんてまさに。
だからもう「刀が在る」という時点で源氏兄弟は愛されている。しかもそれが複数。めちゃくちゃ愛されとるやんけ———————
モノと御伽、両面から愛されているわけです。愛のサンドイッチですわあ~
ここでわしはふと思うのです。モノと御伽の「二重性」を。
源氏兄弟を語る時、どっちの面からも語れるな、と。二つの面から。モノの面から見ても、御伽の面から見ても、わしは源氏兄弟が好きなんだなあ。
そしてこの「二つの面から見る」という観測方法、これは物理化学でいうところの「光」の理解に似ているなあと。
量子と波動
物理化学の話をします。ちょっと難しいかも。頑張ります。
「光」というのは、目に見えます。だけど掴めない。
見えるのに、掴めない。それってどうやって「在る」ことを証明しようか?
昔むかし、化学がまだ発達していなかった頃、世界には”エーテル”という謎の物質が漂っていて、その”エーテル”が媒介して、あらゆる科学的現象がなされた、と言われておりました。
人はわけわかんないことに恐怖を覚えますので、わけわかんないことは鬼の仕業だ!疫病だ!とかなんとか理由をつけて恐怖に立ち向かいますが・・・(そうして生まれた兄者の逸話も多々・・・)わけわかんないことを解明していく研究プロセスの中で、とりあえずなんか便利そうな”エーテル”が生まれたのでした。
その「仮定」はのちのち否定されゆくエビデンスがばしばし出てきてしまって、今や”エーテル”は化学の教科書には御伽噺みたいな扱いです。
わしは”エーテル”の考え方嫌いじゃないです。ロマンがある。
もっとオタクの好きそうな感じの話をしますと、昔、化学は”錬金術”と言われておりました。おおおハガレン世代にはぶっささる!!?
金(元素記号:Au)というのは、お金という意味でも、キラキラという意味でもまあ価値のある素晴らしき響きです。FGOに英雄王(AUO)いますけど、あながち間違いじゃないですな。金(Au)の王(O)ですもんなwwwブホwww
実際、金は化学的性質の面でも価値があり、最強の電子配置で云々かんぬん・・・とにかく金は皆が欲しかったので「金をつくろうや!」となって「金」を「錬成」する「術」をなんとか見出そうとしたわけです。(ちなみにわしの専門分野はまさに金を作ろうとする分野でした。それは長くなりますのでまた別のnoteに書きます)
しかし、それは、なんというか「魔法」のようなもんです。
”高度な科学技術は魔法と見分けがつかない”というのは、わしがしばしば使う、大好きなワードであります。わけわかんない魔法です。
光の話に戻しますと、「光」がそこに「在る」ってどうやって証明する!?ってのも、魔法の世界だったのです。わけわかんないから。
光に似たもんで、音というのも、掴めないけど、在りますよね。
ンンン~惜しいですぞ!似てるんです。昔の人は賢いので、まずそこに気づきましたよね。説明がつくこと。
光も音も「波」だという発見がされました。
光にも音にも「観測結果から見出された共通の性質」がありまして、それが「波の性質」でした。(波動性と言います)
でも、それらは似て非なるものでありました。どうしても、光の方は「波の性質」だけで説明できない現象があったのです。(光電効果という現象です)
色んな人がドチャクソ悩みまくって、ワカランワカラン説明できん・・・となっていたその中に超ひらめきーんぐが居ましてね、とんでもねえこと気づいたんです。
「光は粒でもあるよ」と。
量子というやつです。ただし重さはありません。質量はゼロ。重さがあると仮定するとまた説明できない観測結果があるからです。が、「波の性質」だけでは説明できなかったことが、エーテルでも魔法でもなく「光は粒である」ということで説明できたんです。(量子性といいます)
だから今の化学では「光は量子と波動の二重性をもつ」と言われております。
この考え方こそが、わしの中の源氏兄弟です。
二重性の両立
源氏兄弟はモノと御伽の二重性を持ちます。
光は量子と波動の二重性を持ちます。
両者は互いに補完しあってその存在を確かなものにしてくれます。
二重性とは、決して否定的なものの見方ではないと、わしは物理化学を学んでいた時から思っておりました。何かを肯定するために何かを否定するだけでは、先には進めないと思っております。
例えば「剣巻では確かに源氏兄弟は兄弟だけども、太平記では全然膝丸とか出てこないよ兄弟じゃないよ」という意見を見かけた時、それもまた源氏兄弟の性質なのだなあ、と思います。否定はしません。そういう見方もある。
もし昔の人が光の「量子性」を発見した時、それまであった「波動性」を否定していたら、今も光はつかめぬまま、わしらは夜空の星を見上げて「ああキレイですなあ~」と言うだけだったかも。でも今、星のない空にもプロジェクションマッピングで星を見せることができますよ。在りし日の人々がこれを見たら、魔法だというのでしょうね。
源氏兄弟がこの世に兄弟として愛され、認知され、モノと御伽の両側面を残してきたからこそ、刀剣乱舞の刀剣男士として顕現できているのでしょう。そしてランクアップしてどんどん強くなっていける。そういう器のくそでけえ刀たちなんですねえ。
二重性を両立する器のでかい刀、それが源氏兄弟ですね。わしの中で。
シュレーディンガーの兄者
二重性を両立する「光」の話は実はいったん終わりです。タイトル既に回収奴~~~!
もうひとつ、物理化学的な話で兄者に対して思っておるクソデカ感情があるので語ってしまいます。
「シュレーディンガーの猫」といえば、有名なネタなので知ってる人も多いかもです。わしの好きなドラマ「相棒」でも出てきてましたね。ありゃ~おもしれぇ回だった。
シュレーディンガーの猫では、箱の中の猫が毒ガスにやられて生きてるかも死んでるかもわからない。箱を開けるまでは「猫は生きてる状態と死んでる状態の重ね合わせである」というとんでもねー話です。
あれは「量子力学を肯定しようとしたら”濃度50%の猫が二つの状態で存在しとる”ってことになるやんwwwありえんワロwwwwww」って量子力学を小ばかにする感じだとか言われてますが、まあわしのさっきの価値観で言うところではそんな皮肉はどうえもええっちゅうわけです。何かを肯定するために何かを否定だけしてたらおもろないよ、アンタ、ってハナシです。
実際シュレーディンガーの猫が教えてくれる量子力学の考え方としては
未来にはいくつもの可能性があり、どの可能性が実現するかはサイコロのように確率できまる
ということだそうなので、つまりわしは既に量子力学的考え方で源氏兄弟のことを観測しているということかもしれませんね。ホホホ。
ただし「俺は目に見えることしかわからん」って刀ミュの膝丸君は言うてますからね、それはそれでいいんです。人生、そう思いますわ~。己の目で見て判断せえって思います。仕事でもそういうポリシーですわし自身。
さて、そうは言っても、目に見えぬ現象の説明をするのに、量子力学はとっても便利で”エーテル”神話がどっかいってまうほどです。
兄者については、まさに、現象の重ね合わせであり、確率で決まるふわあっとした状態で常に居る。そういうキャラだと思います。
なんじゃそれ。膝丸君が聞いたら泣くぞ・・・ッ!!!
確率的に存在することができる、と言った方が正しいかもしれません。兄者を観測して「ここに兄者が居る」と証明するために、あらゆる観測手法を試します。
観測とは「刺激に対して応答があれば、居る。応答がなければ、無い。」って感じです。応答があるところに兄者は居て、応答のなかったところには兄者は居なさそう、って感じです。
だから膝丸君が「兄者~!」って呼ぶのは、めちゃめちゃ大事なことです。兄者がどこに居るのか兄者の位置を確定させるのは、膝丸君のこの呼び声であるとわしは思っています。(無駄に鳴いてるわけじゃねえんだあ)
刀剣電子
電子の話をします。さっきの「光が波の性質だけで説明できない(光電効果)」には、電子の話が出ます。光電効果とは、”光”が受けた刺激に対して”電子を出す”という応答現象です。既に電子は「量子性をもつ」とわかっておりましたから、光も「量子性をもつ」と仮定するとああ~なるほどね、と説明ができたというわけでした。
電子というのは「電子雲」とかいう状態(?)で呼ばれたりするほどに、なんかふわぁっと存在するんです。何丁目何番地に電子さんが住んでます、って住所を言えないんですよ。なんとなく・・・何人くらい・・・その辺におる・・・かも・・・・・・・みたいな。
ふわぁ~っとしてる。この感じ、まさに兄者。膝丸君が探しとるわけです。
電子もまた目には見えませんが、観測されて、なんとなくそこに居ることがわかります。高いエネルギーをもつ”原子核”のまわりを漂い、”原子核”に束縛された状態、それが電子雲です。
オオ・・・監査官殿・・・また出てきましたよ「束縛」が。
刀剣男士とは愛に縛られたものなのですよね、そしてそのエネルギーの源もまた愛・・・。刀剣男士とはさながら、原子核に縛られその周りを漂いエネルギーを受けてあちらこちらに存在する、電子のようなものですな。
兄者には御伽もモノもたくさんありますが、どれもこれも薄くても濃くても兄者だと思います。なんとなくそこに、確率的に居ます。電子雲です。
そしたらば
兄者は観測されるまでどんな状態でどこに居るかもわからないってそういうことでいいんじゃないかと、わしは思ったわけですね。
ただ、兄者はどこにもいる、もはや”エーテル”のような、世界中にうっすいうっすい存在確率で居る!!?!?!・・・とまでは思っていません。
「刀剣男士膝丸の横に居るのが刀剣男士髭切だ」
というのがわしの答えです。ここまで来るのに5年かかりました。
このnoteでいうとここまで来るのに6000文字かかりました。いやあ長すぎん?狂う。
髭切の位置を固定するには、束縛する高エネルギー体の”核”と、それを観測する”観測者”がいて、それが愛、審神者なり本丸。膝丸の愛ももしかすると、です。
そこに創作の可能性がある。何を髭切にとっての”核”とし、誰を”観測者”とするかで、色んなパターンの創作ができる気がします。
おら、わくわくすっぞ!!!
これから童子切とか天光丸とかもしかすると微塵丸も・・・源氏兄弟に関係のありそうな刀はまだまだ出てきますけども、わくわくしかしてません。
(ちなみにこれまでわしは膝丸のほか、鶴丸、鬼丸国綱、地蔵行平、三日月宗近、一期一振・・・とかを使って髭切を観測しようとしてきました。)
未来にはいくつもの可能性があり、箱を開けるまでわからないんですな。
慶長熊本直後、地蔵行平の顕現観と源氏兄弟を比較した時のやつです↓
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ここまで読んだ人、すげーよ。めっちゃなげーよ。ありがとうございます。
こんな話脱線しまくりの刀剣乱文を読んでくれてありがとうございました。
できるだけ専門用語を使わないように努力したけど、返って読み辛くなってしまった気もしますが、このnoteの主たる目的は己の考えを整理してみるかという半ば自問自答的なやつなので読み辛さはお許しください。
正直物理化学ももうだいぶ忘れてるわ、刀剣の知識も文献の知識も浅はかで誤った記憶のままに書き散らしましたが、自分はすっきりしたので満足です。
次は書ききれなかった「エントロピー増大の法則」と、己の研究分野であった「金を作り出す錬金術」の話とかをしてテメーの過去の実験クソヤバエピソードとかを笑い話に消化できればと思います。
また書きます。
じゃ✋