仮面ライダーセイバー 振り返り&深罪の三重奏 考察

※映画のネタバレを含みます。

※本当に最後まで謎を紐解きながら観るのが楽しい映画なので、観ていない方はまず観ていただきたいです。

※当方は刀剣乱舞オタクとしての目線も結構多めに語るタイプなので、ちょいちょい刀剣の話と絡めます。


Vシネを語る前にまず己の「仮面ライダーセイバーに対する立ち位置」を明確にしておきたいので、本編視聴中のクソデカ感情呟きを少し振り返ってみます。

「そんなんええからVシネの話を!!」という方は目次で飛んでください。

本編視聴中の感想 振り返り

とりあえず私は蓮とデザストの関係に心を打たれていたのでした。

いやこれはズルいでしょ。

関係性オタクが好きなセリフNo.1のやつですよ。クソデカ感情オブザイヤーを受賞してますね。

まあまあ観終わっている今の自分が振り返ってみるに、蓮とデザストの出会いから別れは、組織の外で仮面ライダーとなっていく、蓮の修行の旅路だったんですね。

デザストっていう怪物は、ハンミョウがモチーフだそうですね。ハンミョウと出会った蓮君がいかにして仮面ライダーになっていくか、ってのが熱い物語だったと思います。

仮面ライダーはバッタの怪物なんで、つまりハンミョウがバッタをバッタらしく育てる、っていうことなんやと思いました。

そうして蓮君は立派な風の剣士となる。

賢人君はちゃんと髪の毛を切って戻ってきてくれる。

大満足でした。(賢人君の髪型の話)

私は今仮面ライダーリバイスにドはまりしている訳ですが、この「そもそも仮面ライダーはバッタの怪物なんだよ」というところを、改めて感じながら観てます。

ビヨンドザジェネレーションズでも、初代仮面ライダーが取り上げられており、やはりその「そもそも怪物」という点は意識されてるのかなと思います。

リバイスの話はおいおいやるとして

私はプリミティブドラゴン君のことも相当好きだったんですよ。

神山飛羽真の今回のVシネで描かれていた像って、本編のプリミティブドラゴン君とのやり取りから神山飛羽真の人間性がうかがい知れたからこその愛だったんだと思うんですよ。

ほんでこれはずっともう思ってんですけど

仮面ライダーセイバーが”物語”と”剣”というテーマでやっていたのは、そのまま私が常日頃考えている刀剣乱舞のクソデカ感情そのものなのだと思ってました。

セイバーと刀剣乱舞を両方履修することで相互作用的に気づける視点というのもあって楽しかったんですね。

刀剣乱舞においても「人が居なければ、モノである我らは錆び、背負う物語も、名も、忘れ去られていく」という、人と刀剣(つくも神)の構造があるんすね。

それを踏まえての、最終章ですね。

ついついちいかわになってしまうんですよ。

世界はわからない白紙である、だから人がペンを持って物語を描くということの尊さですね。

その人だけの物語 というやつです。

で、半年くらい前の日曜の朝に、こういうメッセージを受け取った上での、満を持してのVシネです。

Vシネセイバーの感想

まず、やっぱ「これは、日曜日の朝ではできんかったことだな」というのがまざまざと伝わる、ブラッディさです。

Vシネは血を出し放題(いや、そんな放題ではない)であることは、直近鎧武やらエグゼイドやら観ていたのでわかっておりましたが

まあ~~~~~~Vシネセイバーが取り上げたものって、まじで「日曜日の朝では救いきれなかった感情」なんですよね。

キャラ一人一人の成長、その後、みたいなのを描くっていう点においては、まあ、そうなんですが、成長というか、もう「人生」でしたよね。

剣士達の戦いのその後の「成長」ではなくて、剣士として生きた人々が、その後「人生にどう落とし前をつけて生きていくのか」ということを突き付けられたようです。

それは、まあ立派な剣士様たち、という肯定的なことではなく、これも上記振り返りでリバイスで改めて感じてると書いたことにも通じますが

結局、仮面ライダーというのは「バッタの怪物」なのですね。

ダークな側面はぬぐい切れない。そして、世界のためとはいえ、戦ったのだから、その戦いの裏には、人知れず死んでいった命があったのだと。

そんなところは日曜日の朝に救いきれないのです。

これまた刀剣乱舞の話しちゃうんですが、ミュージカル刀剣乱舞が最近めちゃくちゃ焦点をあててる「救いきれない、物語の中にも描かれない命」ってやつですね。

救いきれない、描き切れなかった命に、剣士たちの人生を絡めて向き合った映画、それが深罪の三重奏でしたね。

きっとこれを日曜の朝、子どもたちに見せることは、仮面ライダーとしては正しくない。だからVシネで良かった。それも、ちゃんと考えてるんですよと。

あなたたちのこと、忘れてませんよ。という。

きっとですね、子どもには最初から仮面ライダーには光も闇もある、なんて曖昧な描き方や見せ方をしたらダメなんす。

Vシネセイバーを面白いと思えたのはきっと、子どもの時にちゃんと善とは、悪とは、を学んだうえで、それで大人になってから、様々なコンテンツに触れて「善と悪は表裏一体だ」「仮面ライダーとはそういう二面性を抱えて正義の為に戦っているのだ」と理解できたからこそだろうと。

そして仮面ライダーセイバーはこのVシネまでが完成形。そこまで描き切った、白紙のページがまだあった、ってことなんだと思いますね。

Vシネセイバー考察します

前置きがクソ長くなりましたが、やっと考察します。

とりあえず映画を観た時は上記の通りの感想がこみ上げてきたので泣いたりしたのですが、帰りの車を運転しながら「う~んでもやっぱりストーリー難しかったわ!!」と思ったので、家帰って紙に書きながら頭整理しました。

「間宮」と「陸」についての考察。運命を変えたシンギュラリティ―ポイント(特異点)はラッキーだったんでしょう。そしてセイレーンの深き愛について考え、泣いた。 のでした・・・。

考察にあたっては、先人の方々のツイートを拝見して脳を整理しました。

こちらのTELTELボーズ氏の感想と考察が一番自分も共感しました。
とても深くまでキャラとお話を眺めて、まとめてらっしゃいます。


上記考察の最後のところで「間宮陸は3周してそう」と仰ってまして、私もこの可能性を軸に考えました。

三重奏を奏でるのは神山・冨加宮・新堂ともとれるし、アメイジングセイレーンを手にした3人ともとれるし・・・って感じなんですが
まずここでは間宮陸関連のことだけ取り上げて考えます。

陸関連で起こったこと

【1】3歳の時に孤児院を抜け出し、無銘剣虚無とアメイジングセイレーンを見つける。
【2】(セイレーンの力で)陸から大人間宮が分裂する。 <間宮①、陸①とします>
【3】間宮①がたくさんの一般人の記憶を改ざんする。<8年間人の記憶に干渉しまくる>
【4】人々の記憶から「小説家 神山飛羽真」が消えていくが、陸①だけは忘れない。
【5】間宮①がソードオブロゴスの情報屋として暗躍し、剣士らの記憶を改ざんする。 <ここが映画の冒頭シーン>
【6】ファンタジック本屋かみやまが炎上する。
【7】陸①が泣き叫ぶ。
【8】神山飛羽真が陸①とラッキーを見つけて保護する。<8年間子育てする>
【9】(【4】の暗躍の一環で)間宮①が神山・陸①親子・ラッキー・芽衣と接触する。<幼馴染という追記改ざん>
【10】ある日、ラッキーが居なくなる。
【11】仮面ライダーファルシオン(間宮①)がラッキーと陸①を殺そうとする。

ここで、陸①の「死亡ルート」と「生存ルート」があり得る。

もしかしたら、こうだったかもしれません。

●死亡ルート
【12’】神山飛羽真が間に合わず、神山飛羽真は無傷だが、陸①が死亡する。
【13’】(【4】のことがあるので)陸①が死亡した時点で神山飛羽真の存在が消滅する。
【14’】剣士の居ない世界 に近づく。(賢人と倫太郎は、まだ生きてるかも?)
【15’】アメイジングセイレーンが望んだ世界が完成する!?

ですが映画では、こうでした↓

●生存ルート
【12】神山飛羽真が負傷しつつ、ラッキーと陸①は守られる。
【13】間宮①が神山飛羽真を自宅で治療する。<病院じゃねえのかよ、と違和感を感じました(笑>
【14】「陸には俺じゃなくてラッキーが必要・・・」という神山飛羽真に間宮①が怒る。「陸に必要なのはお前だ!」
【15】ファンタジック本屋かみやま跡地にて、ラッキーが見つかる。
【16】仮面ライダーファルシオン(間宮①)VS仮面ライダーセイバーの戦い。
【17】間宮①が「自分は陸だ」と思い出す。<なんで間宮、自分が分裂したこと忘れてるの?>


ここで、私が泣いたところでもありますが
今回の物語での運命が変わったのは【14】で間宮①が飛羽真に「本気で」怒ったことだったと考えています。
そしてその時、怒っていた間宮①の脳裏に浮かんでいた記憶は、神山飛羽真パパからの「お前はもう、大丈夫」なのですが、この記憶は間宮①だけでは説明ができないので、おそらくTELTELボーズさんがおっしゃるように、間宮②とか間宮③の存在が必要になってきます。

間宮②や間宮③とは、【3】で人々の記憶を改ざんしまくった結果生まれた「別の物語の間宮陸」です。

実際は、間宮①は陸①と分離した時から8年間、間宮①として生活してきただけの記憶しか持たないはずなのに、なぜ間宮②とか間宮③とかの「未来の記憶っぽいもの」が脳裏に浮かぶことになるのか?


大人の間宮の記憶の中に「お前ならもう大丈夫」が見えたのはなぜ?

<可能性1>
実はあれは神山飛羽真パパからの言葉ではなくて、本当に間宮の父親は他に居て、剣士らの戦いで死んでしまった
あまりにも記憶改ざんしすぎて、自分の記憶もぐっちゃぐちゃに・・・全然関係のない陸という名の孤児の記憶が、己の体験とも重なり混同・・・・・・・・というのは、映画を観ている時に一瞬考えましたが、これだと【17】が感動できないので今はボツにしてます。(感動したい・・・・)でももし、これを軸にしたら【2】からして変わっていって、また新たなる考察ができる気もします。


<可能性2>
人の記憶を改ざんするということが、タイムパラドクスを生じさせるのでは。
人の記憶なんて曖昧なものと、事象との間に何か歪みが発生するのであれば、その整合性を取るために時間軸すらも歪んでしまうのではないかと。時間軸も無視して、全ての記憶が同時に存在する。過去も未来も現在も同じ。
(進撃の巨人の”道”の仕組みに似ています)

だから陸②とか陸③とかとも記憶が混ざったりしてる、という可能性です。
ちょっと、セイバーっぽさが薄い気はします。SF過ぎるかも・・・?!

でもね、本を読むという行為をメタ目線でよく考えてみると
本をめくる、めくったページをもう一度さかのぼる、という進み方ができるのもまた「本」なんですよ。
それは「書き手の意思に関係なく、読み手には時間軸を無視することができる」ともとれる。
だから時間軸パラドクスが起きても良いと思いました。
仮面ライダーセイバーが本編で構築してきた世界観であれば、この説もいける気はした。


<可能性3>
間宮①は【2】で単純に陸①から分離しただけの「陸①のもう一つの人格」という感じではなくて、未来の間宮陸を誰かがあそこに送り込んだという可能性です。可能性ですというか、私はもうほぼこの説に寄っています。
それは、最後の、神山飛羽真の手に「アメイジングセイレーン」があったからです。
最後、この映画のタイトルは「深罪の三重奏」から「深愛の四重奏」と名を変えるのです。
私はこの最後の演出に対する、己の感動を一番に考えたい。

陸は、火事のショックからか、8年間も発語できない状態のようでした。
その陸が、飛羽真パパが死にかけてるとわかったその時にやっと声をあげて、自分も物語を書いているのだ、と言います。

仮面ライダーセイバー本編は、全知全能の書のシナリオ通りの世界に対して、神山飛羽真という小説家が「物語の結末は俺が決める!」という、書き手の力を以てして運命に抗ったという話だったので、間宮陸が運命を変えられたのは、間違いなくこの神山飛羽真に出会ったからであり、8年間過ごした思い出の賜物であるというか・・・だからその思い出の土地を、ラッキーが導いて思い出させていってくれたことで、陸の中の何かがじわじわと変わっていったのでしょう。と思っています。

要するに「ラッキーが居なくなって、なかなか見つからない」っていうことが、運命が変わるきっかけ。シンギュラリティ―ポイント(特異点)であったのではないかと。

ラッキーを結構すぐに見つけて居たら、飛羽真は8年間の思い出を改めて振り返って陸に伝えたり、間宮に本気で怒られる程、その8年間と陸の発語できないことを悩んだりしなかったでしょう。

だから、ラッキーが特異点だと思いました。


飛羽真の手にはアメイジングセイレーンがありました。
そして飛羽真も、間宮陸も、結果的には「物語を書く人間」となるという結末でした。

だから、どっちだとは言えないですが、【2】で陸が分裂する時に、どんな状態の間宮が分裂するかは、書き手である誰かが設定か展開を書き換えたのだと思います。

どんな状態の間宮かというのは「記憶をもった間宮」なのか、「復讐を遂行する間宮」なのか、「ラッキーをすぐに見つけてしまう間宮」なのか

または

変えた展開は「陸が無銘剣虚無を手に取らない」という物語ですね。これが一番、美しいかなあとは思いました。

あと、追加で考えたこと

火を放ったのは、分裂した間宮でしょう。
神山飛羽真を自分の監視下に置けるように。

(別のメタ的な意味では、もうあの書店の超複雑なセット、仮面ライダー本編終わっちまって解体したんでしょうね・・・再現ムズそうですからね・・・・ っていう。大人の事情も察し。)


もう一つ考えたこと。

セイレーンの元ネタをどこまで汲んでたか? です。
セイレーンはそもそも3姉妹だとか5人いるだとか、とにかく複数居るらしいですね。
だからアメイジングセイレーンが3冊あったって何も問題はねえんだろうなあ。
【2】で人間を分裂させてましたから、アメイジングセイレーン固有の特徴として分裂するんでしょうねえ。

あとセイレーンは間宮陸でしょうねえ。
セイレーンの歌声を聞いて生き残った人間が居ると、セイレーンは消える とかいう不穏オブ不穏な元ネタ。


オデュッセウスという人が「セイレーンの声をどうしても聴きたいねん」と言って、自らを船頭に縛り付けさせて聴いたというくらい、人を狂わす歌声なんだと。
3歳の陸が泣いていて、その声を聴いて神山飛羽真は見つける。でもその後、陸は声を封印する。
神山飛羽真は声を聴いて生き残ったオデュッセウスですね。
そして、次に陸が声をだした後、陸は間宮と共に消えてしまいましたね。セイレーンだから・・・。
間宮の本当の声というのも、封印されていたのでしょうね。本音といいますか。

間宮が「自分が陸から分裂した」ということをそもそも自覚していない可能性もありますが(夜で暗かったしな)
「分裂時は自覚していたのに8年間忘れていた」のだとしたら
記憶改ざんの影響もあるかもですが、もしかするとこの「セイレーンだから」ってのもあるかもしれませんわ。

お父さんのことが大好きだから、本当の声(本音)をずっと封印してたセイレーン だったのかも。

愛が深いわぁ・・・。


仮面ライダーセイバー、Vシネまで観てやっと、この作品のメッセージ性の強さを受け取れた気がしました。賛否両論あるとは思いますが、この映画は本編あってこそ。

それこそ、仮面ライダーセイバーが1年間紡いで来た物語の上であればこその映画で、そしてその本編で描かれなかった余白を埋めて、見えない所にも人の人生があったのですよと、語り聞かせてくれたのでしょう。


以上です。ありがとうございます。