省エネスーツ

小泉構造改革でクールビズが唱えられ、夏はネクタイ無しで良いとなってから、今では、服、髪型が自由な職場が増えてきた。スーツを着るということは、社会人になるための通過儀礼という意味がかつてあった。それが無くなってきたということはそれで会社モラルが低下すると思いきや、昔よりも会社モラルは上がってきた。

クールビズが唱えられるようになってからも、私はそれが馴染めず、暑い時は半袖シャツにそれでもネクタイをするという省エネスーツスタイルだった。職場でネクタイを外すということに相当違和感があった。

スーツを着た社員同士の会議なんて、ドラマを見るといかめしいものに見えるかもしれない。しかし、実際の当時の会議はタバコが吸えたり、強烈な人が今では問題になる強烈なことを平気でしゃべってしまうような会議だった。

ブラック企業ではコンプライアンスどころか、違法なことも行われた。それで会社を辞めると言うと「人間辞めるのか?」と言われた。同世代では「人間に戻るんだよ」と言っていたものだった。つまり、スーツを着るという意味は、会社によっては強烈な社風を持つ日本企業において、俗世から切り離されるという意味もあった。

終身雇用の会社では問題児もずっと抱え込む必要があり、問題のない人にとっては負担ではあるが、その問題児にとってはある意味自由でもあった。新人はもちろんそんなことは許されないが、世間知らずで何をしたらいいかわからない新人にとって遠慮なく騙してくる問題児は少なくとも世間を知る入口にはなった。

私も初めて就職した時は、当時の日本企業の強烈な社風にビビっていたものだった。ただ、騙されたり、騙したりするうちに自分の中に人から見たら強烈な癖があり、負担をかけていることを認識する。

今は、服装、髪型が自由になった分、問題児は切り捨てられていく会社風土になっていったとも言える。みんな同じスーツを着るということは問題児にも社会に接する規格が与えられていたことでもあった。そういう問題児が切り捨てられてくると、世間知らずな青年にわざわざ声をかけてくるのは闇社会の詐欺師しかいなくなる。

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