「漢委奴國王」金印真作の証明

「漢委奴國王」金印は江戸時代の日本、または、清で作られた贋作説があった。邪馬台国論争でも奴国がどこにあったかという敏感な話題のため、真作と認めるのに慎重な空気があった。しかし、この動画でほぼ真作と証明されたと言っていいだろう。根拠は下記の通り。

  • 江戸時代では印は朱肉を付けて紙に押す印であったが、漢代では封泥で、粘土に押す印であるため、堀が深い。江戸時代日本や清ではそれを知り得なかった。

  • 「漢」の偏、さんずいの「川」の部分の曲がり方が、曲がっている前漢の印、直線の後漢の印の過渡期に位置し、まさに後漢初の字体になっている。

  • 「委」の字は「倭」の字にある人偏がないが、「委」の字が「倭」の字の古い書き方と音韻学的に推測できる。「委」と「倭」は発音が近く、「委」は「倭」の祖語と考えられる。書き分けの必要が発生して、字が分かれる事例は他の漢字にも見られる。

  • 「奴」の当時の字形は、金印出土後の清代字典『韻繆』で明らかになったが、金印出土時はそれを知りえない。

  • 「國」のつくりの中の「戈」の字の「一」の字形は前漢では右下がりだが、後漢ではまっすぐで、金印はその過渡期に位置する。

  • 「王」の字は前漢では真ん中の「一」が前漢では上に位置するが、後漢では真ん中に近くなる。

邪馬台国論争は考古学的発見を歪めてしまうという例。

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