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窮屈感から開放される

新年早々に足早に出かけることになった.

行くあてはなくても『足の向く方向へ』行けばいいんだって思いながら賑わいと集団の中にいることで安心感やリアルな時間を有意義に過ごしたいと思い馳せている人達が集まる場所に.

フードコート内はとても混雑しているが社会的距離を保つように計算された席の配置に座り,息子がフライドポテトとおまけで貰えるおもちゃに夢中のようで,父親としてはそんな誰もが羨む『温かな雰囲気』を作りだしながらフードコート内のお客さんを眺めては『ネタ探しに』没頭する.

簡易的に作られたビニールシート状の縦置きを挟んだ隣の席では,大学生ぐらいのカップルが少し遅めのランチを”楽しんでいる様子”ではなく,どこかしらぎこちない時間をお互いの曖昧な会話でその間の溝を埋めあっているように見える.

少し離れた席の4人家族は食事中は静かに食べる事が家族のルールなのかコロナのお陰で意識的にされたものなのか分からないが黙々と時間を食べている.

我が息子に目をやると例のおもちゃとフライドポテト,オレンジジュース,そして指先についた塩をこの子なりに最適化して遊んでいる.

フードコートはキャパを超えた賑わいで『コロナ騒動』がなければ『新年早々縁起がいい』と感じられる“あの頃の感覚“が懐かしく思える.

そして,ここのフードコートの最大の良さはダイナミックな景色が楽しめる事だとしばらくして気づいた.

『この賑わいが煩わしい』

例のコロナ騒動のおかげで賑わいを避けてきたので久々の『賑わい』が口の中に残る油のように”くどく”感じるようなったと知った.

もしかしたら今まであったであろう”若い感覚”がすり減ったのか,歳相応の感覚を早めたのかもしれない.

つまり『もうあんたは立派なおじさんだよ,見た目も感覚も考え方も』そう言う事だと言われているに違いない.

波飛沫が笑えなくなったらもう大人にちがいない

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子ども達が波飛沫をみながら笑っている光景を周りの大人達は『ほんわかな気持ち』になっているに違いないが僕が思うには”波飛沫でもう笑えない”である.

もしかしたら”楽しくて笑っている様にみせる”演技はできると思うが歳のせいなのか経験のせいなのか"笑えない"が正解だと感じる.

楽しくて笑える場所ってどこに存在するのか・・・

『そんな場所は自分で探し出すことが正解か?』

コロナ騒動によって良きも悪きも形を変えて人の感覚も変えて続いていくことに”慣れる”ことがスキルの一つとして持っていても損はないのかもしれない.

ただ幼き頃の記憶をたどっていくと”走りながら笑っていた”記憶はあるのでそのときの感覚は『自分で探せている』が正解だったかもしれない.

まちがいなく正解だろう.

今はどうだろうか.

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