伊勢神宮の主祭神?!豊受大神の正体がヤバすぎた・・・

どうも、日本の神々です。


今回から全3回ということで
豊受大神特集と題したnoteを
お届けしていきます。


豊受大神を祀るとある神社


あなたは、すべての神様の中で
最も特別扱いされる豊受大神(とようけのおおかみ)
という女神を知っていますか?


実は、この神様・・・
日本神話を知っている人でも
あまり知られていない神様
なのですが、、

実はとんでもない

神様なんです!



この豊受大神という神様は、
古事記日本書紀ではほんの少ししか
でてこない女神だとされています。


何がとんでもないのか?
どこが特別扱いされているのか?
という話に行く前に・・・


古事記に出てくる豊受大神という女神の
全体像をお話ししていきます。

おしっこから誕生した?!

豊受大神のお父さん


記紀神話では、豊受大神は
生成の神「ワクムスヒ」の娘である
トヨウケビメという神様として
登場しています。


実は、このワクムスヒという神様は、
国生み・神生みを行なったイザナギ・イザナミの
子供とされています。


しかし、単なる子どもではなく
誕生の仕方が本当に衝撃的すぎまして・・・


イザナギとイザナミは、
神生みを行う中で火の神カグツチ
産んだ際・・・


イザナミは、下半身を大火傷してしまい
重症になってしまうシーンが
ありますよね?


イザナミは、寝床で
下痢やら何やらありとあらゆるものを
排出していきます。。


そして、その排出したものからも
神様がどんどん誕生するのです。


そんなもがき苦しむイザナミのおしっこから
生まれたのが豊受大神のお父さん
ワクムスヒ」だったんです。


お父さんの誕生シーン
本当に衝撃的すぎますよね・・・


このワクムスヒノの娘さんが
トヨウケビメなのです。


トヨウケビメの「ウケ」というのは
食物を表しており、


トヨウケビメというのは
穀物と食物を司る神様とされているんです。

ウケというのは
食べ物の古い名前

そのため他の食物を司る神である
大宜津比売(おおげつひめ)
保食神(うけもちのかみ)
稲荷神(いなりのかみ=宇迦之御魂、
うかのみたま、伏見稲荷大社の主祭神)

これらの神々と同一視する説も
存在しています。

記紀神話によると
ワクムスヒの娘として生まれた
豊受大神は、高天原(たかまがはら)で
お父さんと一緒に暮らしていましたが、

大国主がアマテラスに国譲りをして
いざアマテラスの孫であるニニギが
天孫降臨をするというタイミングと
ほぼ同時に、

どういうわけかトヨウケビメも
地上に降りることになるのですが・・・


しかし、その後トヨウケビメに関する
記述はなくなっているんです。


そのため、トヨウケビメの情報が
古事記や日本書紀から全くないんです。。


しかし、
ほんのわずかな登場シーンしか
描かれていないにも関わらず


豊受大神は色んなところで
特別扱いされているんです。。


では、いったいどんなふうに
特別扱いされているんでしょう?

豊受大神は、

伊勢神宮の主祭神?!


そう、実は豊受大神は
伊勢神宮にメインで祀られているのです!!


伊勢神宮外宮
(豊受大神宮)


「あれ?伊勢神宮の主祭神って
天照大神なんじゃないの?」

こんなふうに思われるかも
知れませんが・・・

実は、伊勢神宮は、
内宮と外宮という2つで構成されており

内宮には、天照大神
外宮には、豊受大神


それぞれに神様を祀っているという
構造になっているのです!!


しかも!!
外宮には、、


豊受大神宮

(とようけだいじんぐう)


という名前があり、
これこそが外宮の正式名称なのです。


これは明らかに外宮は豊受大神を
意識していると言えますよね。


なぜ、古事記日本書紀に
ほんのわずかしか出てこない豊受大神は
日本の総氏神である天照大神と並んで
祀られているのか・・・


そして、ここから2つ目の
特別扱いポイントなのですが・・・


それこそが、

豊受大神は

天照大神のお気に入り?!


あなたは、
西暦804年に編纂された
止由氣儀式帳(とゆけぎしきちょう)を
ご存知ですか?


この止由氣儀式帳(とゆけぎしきちょう)には
このようなエピソードが描かれているのです。


それが、第21代天皇であった
雄略天皇の夢になんと天照大神が現れ、、

第21代雄略天皇


(天照大神)
「雄略天皇よ・・・
今、我は伊勢神宮に祀られているのだが
1人で食事をするのは落ち着かぬ・・・

丹波にいる豊受大神
私の近くに呼び寄せて欲しい・・・」


こうして豊受大神は、
伊勢神宮の外宮に祀られるようになった
とされているんです。

古事記・日本書紀にほんのわずかしか
出てこないのになぜここまでの特別扱いを
受けるのか??

そもそも天照大神と豊受大神
両者には一体どのような関係性が
あるのでしょうか・・・


天照大神と豊受大神は、
記紀神話の中では何の関わりも
ないですからね。


もう少し豊受大神について
話を掘り下げていきましょう。

豊受大神は天女羽衣伝説の
モデルだった?!


8世紀ごろ編纂された
丹後国風土記(たんごのくにふどき)
によると・・・

あるとき丹後(現在の京都宮津市)の
眞名井(まない)と呼ばれる場所に8人の天女が
降り立ち、水浴びをしていました。

天女たちが降り立ったとされる
眞名井

それをワナサ老夫婦という人たちが
覗き見をしていたのです。

そして、話し合いの結果
ある1人の天女の羽衣を隠すことに
なります。

7人の天女たちは、
羽衣を身にまとって空高く
天に帰っていったのですが・・・

1人の天女は、羽衣を隠されたため
天に帰ることができず取り残されてしまいます。

そしてワナサ老夫婦は
その天女の世話をすることになるのです。

それに天女は、大変感謝して
得意の酒造機織りの技術をワナサ老夫婦に伝えて
老夫婦はそれらの技術によりお金持ちになります。

酒造り

しかし、あるときワナサ老父婦は
天女に「やっぱお前は私たちの子供じゃねえ!
ここから出て行け!」と言い放ち、、

天女は、泣く泣くワナサ老夫婦の家から
出ていくことになるのです。。

天女は、とぼとぼ歩いていると
素晴らしい土地だったのでしょうか・・・

「我が心なぐしくなりぬ」
(「私の心ここで慰められそう…」)


こういった経緯で
その土地を奈具(なぐ)と呼ぶようになったと
されているのです。


天女が癒されし奈具の地


そして、その天女は
人々から慕われて後に
豊宇賀能売命(とようかのめのみこと)
として祀られるようになったのです。

ここまで読んできたあなたなら
豊受大神=豊宇賀能売命
これは想像に難くはないと思います。

つまり、天女羽衣伝説は
豊受大神がいかにして地上に降り立ったのかを
暗号化して描いていたのではないか
ということが考えられるわけです。

またこの天女羽衣伝説の中で
天女は機織りや酒造の技術を伝えたとされてますが
これは弥生時代に渡来系の人々によって伝えたと
考えられているのです。


この機織りや酒造はたまた建築などの
渡来系の技術を伝えたとされる
代表的な一族こそ・・・


教科書に出てくるかつ
よくユダヤ系なんじゃないかと
推測される

秦氏(はたうじ)

という一族なのです。


渡来系の技術を日本に
もたらした秦氏


つまり、豊受大神は
ユダヤ系渡来人秦氏が信奉してた神様なのでは
ないでしょうか?


その証拠をここからは考古学と
その周辺の神社を元に紐解いていきます。

5.神話と歴史が一気に繋がる瞬間?!
巨大遺跡、奈具岡遺跡と奈具神社とは…


実は、天女羽衣伝説で
天女が「慰められそう・・・」と絶賛し
住み着いた奈具という場所には、、

奈具岡遺跡(なぐおかいせき)

という遺跡があるのです!


100基もの家が見つかっている
奈具岡遺跡



この奈具岡遺跡は、
渡来系の技術であると考えられている
水晶の生産工房が発見されており、

この奈具岡遺跡は、
かなり巨大な集落であり
渡来系の技術である水晶の生産工房や
製鉄の製品が見つかっていることから、

渡来人たちが住んでいた
集落だったんじゃないかと
考えられているのです。

日本最大の水晶の生産工房も見つかる


しかも!なんとこの奈具岡遺跡の
近くには・・・

奈具神社


奈具岡遺跡の近くにある
奈具神社


という神社が存在しており
御祭神は、「豊宇賀能売命(とようかのめのみこと)
とされているのです!!

ちなみにこの奈具神社の近くには
深田部神社(ふかたべじんじゃ)という
神社もありまして・・・

この主祭神が
宇氣母智神(うけもちのかみ)
とされているではありませんか?!

冒頭にもお話しした通り
「ウケ」とは食物のことを示していることから
この宇氣母智神(うけもちのかみ)も
豊受大神と同一視できるのです。

実は、丹後に伝わる伝承で
豊受大神は、丹後に稲作を伝えた」という
伝承も存在し、

これとぴったり一致することから
宇氣母智神(うけもちのかみ)=豊受大神

これは、
間違いなさそうですよね。

また、奈具神社と奈具岡遺跡から
少し離れた場所には、
溝谷神社(みぞたにじんじゃ)
という神社もあるんです。



この溝谷神社は、元々
新羅神社(しらぎじんじゃ)といい
新羅大明神(しらぎだいみょうじん)という
神様を祀っているのです。

新羅といえば、
朝鮮半島で6世紀ごろ存在し、
初めて朝鮮を統一した王朝です。

日本書紀には、
秦氏の祖である弓月君(ゆづきのきみ)が
日本に渡ろうとしたところ
新羅に邪魔されて、

応神天皇が家来に救出させたという話とも
繋がりますよね。

この奈具という場所には
渡来人たちの雰囲気がたくさんあるのです。

これらの要素から
豊宇賀能売命=豊受大神は
ユダヤ系渡来人秦氏たちが信奉してきた神様なのでは
ないかと考えられるのです。

しかし、なぜ豊受大神が
伊勢神宮にメインで祀られているなど
特別扱いされているのか?

ここの謎は深まるばかり。。

もっと掘り下げていきたところですが
今回はここまでです!

ここまでの内容をまとめると
・豊受大神は、伊勢神宮外宮の主祭神
・豊受大神は、天照大神に気に入られている
・豊受大神は、天女羽衣伝説のモデル👉奈具という場所で過ごす
・奈具には、奈具岡遺跡という渡来系の超巨大遺跡が存在する
・豊受大神は、ユダヤ系渡来人秦氏が信奉していた

ぜひこのポイントだけでも
抑えていただければ幸いです。

今回の記事は、
いかがでしたでしょうか?

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よろしくお願いいたします!


次回は、

豊受大神はユダヤ人が信奉していた
唯一神ヤーウェだった?!

というテーマでお届けしていきます!
どうぞお楽しみに!!


最後まで読んでいただき
ありがとうございました!!

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