静かに過ごす権利

昨日とあるブログを読んでいたら、ライブ終演後にある人が連れに周りにも聞こえるような声で不平不満を言ってて、余韻に浸りたかったのに・・・なんてことを書いてるの見つけて考えたこと。

何かあったら言葉に出したい気持ち、わかります。誰かに話すことができるのが理想ですが、独り言のようにリアクションしていることすらあります。逆に静かに余韻に浸りたい気持ちもよく分かります。自分の中で確固たる気持ちがあればリアクションとして現れようとし、なんとも言えない曖昧な部分がある時は余韻を噛み締めたくなるのかなぁ。まぁ何故そうなるのかはどうでもいいや。

静かに余韻に浸りたい時に、自分はこう思ったんだ!ということを叫ぶ人がいて、ちょっと配慮してくれないかとお願いしたら、「自分の思ったことを言うことの何が悪い!それを止める権利はお前には無いはずだ!俺に指図するのではなくお前も同じように言えばいいのだ!」なんて主張をしそうだなという人がいるなぁと、そのブログ記事を読んで考えたのでした。
(そもそも俺は静かにしたいのに、お前も主張しろとか訳の分からない自分勝手な理屈で論を組み立てやがるなってのは、あるあるネタ程度で思っておいてください。話がズレてると指摘すると余計ヒートアップしたりするんだよなぁ・・・)

自分の気持ちを発することと、静かに噛み締めること。この2つに優劣などはないでしょう。人によってどうしたいかは様々です。が、声に出すか出さないかで周りへの影響度が変わってきてしまいます。影響してしまうからそれをするなとは言いませんが、影響してしまうことを加味した上で行動したいですなぁってのが最終的に言いたい事です。

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