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M1の審査基準は好み以外無いでしょ

M1が終わると、いつも目にするのが審査方法やら審査基準についての話。全員が同じ意見を持つことはないので、自分の評価と大会での評価が一致しなかったときに色々言いたくなる気持ちは分からなくはない。が、M1という漫才の評価において、評価基準なんて物を明確に作れるわけ無いでしょという意見をダラダラ書くNote。

そもそも漫才は、その場の空気で左右されるものである。
フィギュアスケートや新体操であれば、それぞれの技に明確な評価基準が合って点数が決まる。どの会場であっても同じ演技をすれば同じ点数がつくべき。
しかし、漫才はそこにいる観客をどれだけつかめるか。会場の温まり具合に応じてどのようにうまく対応するのかといったところが腕の見せ所であり、どれだけスムーズに喋れても、玄人から見て感心できるものであっても、笑かさなければ意味がない。そこが醍醐味であり面白いところだと思う。となると明確な審査基準なんて決めようがないよね。めちゃくちゃ面白いなと思っても、それを超えるものが出てくるかもしれないとなると100点はつけづらいので最初のコンビは点数も控えめになるだろうし。

観客によって左右されるということは、観客に対する知名度や、演者がどのようなイメージを持たれているのかといった事によっても左右されて然るべきなんだと思う。そういう意味では、上沼恵美子が言ったという和牛に対する苦言(見てないからよく知らんけど)は、個人的にはごもっともな意見だと思う。やはり、そういう部分をきちんと考えた上でネタをやらないといけない。そしてそれを個々のコンビに言うのではなく、TVを通すことで全漫才師に言う存在というのは必要なんじゃないかなぁと感じられた。

あと、ツイッターなんかを見てても意見が色々分かれてるのに、審査員の感性を揃えるようなことをしてしまったら、余計に面白くなくなると思うんだけどどうなのかなぁ。

とはいえ、審査員たちはこれまでに漫才やお笑いをしてきた人たちだし、それで芸能界を生き残ってきた人たちなので、その人達の感性に合致しているという基準のもとでの大会だよって踏まえておくべきだよな、出場者も視聴者も。ゴチャゴチャ言いたくなる気持ちも分からなくもないが、そんなことで色々言ってても仕方ないで。

こんなことを言ってると、じゃあこれまでにない新しい漫才(漫才のくくりに入るのかどうかしらんが)はどうやって評価されるのかと言われそうだが、M1というものはそんな物を評価する場では無い。このような大会に出てくるのではなく、他のところから出てこそ、新しいあり方じゃないのかという気もするんだがなぁ

まぁいいや、酔ったし寝よっと

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