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親の役割、子どもの夢

親というものは、いかなる時も子どもを容認し夢を肯定してやらねばならない存在なのでしょうか・・・

近頃は大学の進学率も上がり、私の時代に比較し推薦入試やAO入試など入試で大学に入りやすいです。ひとり親家庭でも奨学金を借りて、子どもが大学に行きたいという夢を叶えてやれます。

しかし中には奨学金では足りず、バイトに明け暮れる必要があり、学業との両立が難しく成績不良の者もいます。安易な進路選択で、中退する者もいますが、等しく奨学金の返済は始まります。さらに大学を卒業したとしても希望する職業に就けるかというと必ずしもそうではありません。

学歴フィルターは存在します。一流企業や官僚になる人は一流大学に属している人たちです、声優、作家、ゲームクリエターなども極々一部の運と才能に恵まれた人たちです。ましてや地方に住んでいる時点で、進学、就職に関して不利です。これが現実なのです。

おそらく私が10代のころからあったことだと思いますが、当時はインターネットも普及していません。新聞、テレビが報じなければ知らないことが多い時代でした。

ある意味、社会問題はもいくつかはネットにより可視化されて、初めて気がついたという感じでしょうか。

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大学を卒業して、夢と社会の現実のギャップに折れる人もいます。

大学院を修了して、夢と社会の現実のギャップに折れる人もいます。

高校や大学を卒業して、さらに夢を追い専門学校に進学し卒業して、夢と社会の現実のギャップに折れる人もいます。

親も老いていきます。現役を退くと資金も先細りします。

親はいつまで子どもに夢を見させてやれるのでしょうか。

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親が現実を教えることなく子どもの夢を守り真綿に包み大切に育てても、夢が叶うかは別問題です。

夢が叶わなくても違う生き方を教えてやるのも親の役目かと思います。でも子どもは繊細で脆いのです。

障害者も同じで、親は子どもを守っています。しかし親が子どもにしてやれるケアを他人には求められないだろうと、いつも思います。

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獅子は我が子を千尋の谷に落とす

このことわざは自然の摂理です。

つまり障害者や繊細な子どもたちが生きていける社会は、ある意味成熟した社会です。社会に経済的余裕と精神的余裕がなければ、彼らに気を遣い、救おうとはならないと思います。いやそんな事はないと反論があるかもしれませんが、私は戦時中の暮らしと比較して想像しているのです。

つまり社会が平和であることが必要条件だと思うのです。


どうしても親が子どもを守りきることはできません。子どもの夢を叶えてやれるにも限界があります。

ではどうすればいいのか・・・いまの私には答えが見出すことができないのです。

だからこれからも社会に関心を持ち、本を読み、人の話を聞き学びます。




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